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誰のために祈るのか

誰のために祈るのか
それは弱者のためだ
誰にために働くのか
それは弱者のためだ

自分より弱い人のために何かをすること
誰もがそれを実行出来れば、世の中は素敵になる
貧困という社会病理も克服できる

ただ、人は同質的なものを好む
組織は同質化する
仲間はもっと同質化する

だから異質な弱者は排除される、疎外される
福祉の世界でも対等な立場にならない
まして仲間にはならない主従関係
この意識を変えなきゃいけない
それが公共というやつだ

それなのに教育は同質化を強制する
社会は断層だらけに分断化されている

何が必要なのか
まずは祈ることだ
深く思い、深く祈ることだ
ビジネス化した、あるいは政治化した宗教に用はない
宇宙はここにある
すべては祈りから始まる

俺は失敗に成功した

俺は失敗に成功した
お前は成功に失敗した
俺の勝ちだな

意味がわからない

俺もお前も貧困だ
俺は富裕層から転落することを目標にした
お前は富裕層になりたいと頑張った
しかし、今は二人とも貧困だ
だが、仲間ではない
俺は失敗に成功した成功者で、お前は失敗者だ

馬鹿。失敗に成功なんてあるか

いや、失敗に失敗していれば、おれは貧困になっていない

お前、なんで貧困になりたかった

なにごとも経験だ。人生、一度しか無い

この、嘯き野郎が
お前なんて友達じゃないぜ
俺は這い上がるぜ

そうか、なら頑張ってくれ
俺は自然に運命の扉が開くのを待つ

なんだい、転落して終わりじゃないのか

そんな陳腐なストーリーは無いよ
そのうち扉が開く

このブログの位置づけ

昨年夏から、瞑想家になって、energy flowというブログにし、次世代文明研究所を廃止した。しかし、結局は瞑想もまた心理主義のスピリチュアルの危険があると悟り、深入りをやめた。そして、近日、詩集「愚者の祈り」を再開した。

 

はて、このブログの位置づけは何だろう。当初はシーサーでジャーナリスティックなことを書いていたもののアーカイブだった。それがカオスなコラム21の作業場となり、延長で次世代文明研究所になった。日日雑記も日記というよりコラムである。

 

私のオフィシャルブログはアメブロだが、クオリティはこのブログの方が高い。読者層もぜんぜん違うと思う。問題は、このブログをこれからどうするのかだが、基本的に雑多なまま行きたい。詩集も書く、書く気になればコラムも書く。

 

ブログを本にするという発想もあるが、本は売れないし儲からない。まあ、それでも「愚者の祈り」は本にする予定だが、このブログをそのまま本にするなど考えられない。ブログはブログ。そういうことだ。

 

読者の皆さんは、詩よりもコラムに期待されているのだと思う。しかし、最近は好奇心を失ってと言い訳をしておく。ただ、昨年のように突如書き出すかもしれない。計画は無いのだ。

 

「次世代文明研究所別館」と名前を変えたが、これが白井京月のメインブログだ。黒崎玄太郎は、姓名判断のネット査定で2900円と出たのでやめた。因みに、白井京月は1億円だった。

 

そんなことは、どうでも良い。これからも気分次第で書きますので、よろしくお願い致します。

愚者とは誰か

「愚者とは誰か」 白井京月

 

愚者とは何か。それは常に世界の外部に置かれる者、そして世界を知る者のことだ。あらゆる権力、あらゆる権威にとって、それは脅威であり邪魔者だ。愚者は道化という手法を用い笑いを味方にする。

愚者は、その霊的な力で真実を見抜く。そして無邪気に真実を語る。賢者は世俗に服従し真実を語らない。いや、賢者は真実を見ようとはしない者のことだ。愚者は見る。いまや喪失の危機に瀕している「見るという行為の力」を発揮する。愚者は自由に想像し、創造する。

愚者は悲しい世界の中で、まだ見ぬ愚者を求めて旅する。

パフォーマンスは宿命だろう。しかし、それは喜びではなく悲しみなのだ。愚者に力を与える場所。それは愚者たちによる対話の場でしかない。愚者はそこで、霊的な力を交換する。

愚者であることの自覚。それが、このムーブメントへの参加資格だ。さあ、愚者として、いきいきと生きよう。運命を受け入れよう。その、特異な力を磨こう。