白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

愛の嫌疑

暇にまかせて回想する

愛した女たちのことを

そして、ふと暗い気分になるのだ

それは本当に愛だったのだろうかと嫌疑をかける

ああ、馬鹿だな

なんて真面目なんだ

ほとんど病気じゃないのか

そんなことは、どうでも良いんだよ

いや、良くないんだ

答など無いのに

欺瞞

ああ、なんて真面目なんだ

答など無いのに

愛に縛られた奴隷

輝き

いとおしさ

何を求めているのか

記憶は曖昧だ

いまさら

真面目過ぎるよ

真面目に読んではいけない

チョプラの本を読んでパニックになっていた。その本をなぜか神聖なテクストだと思い込んでいた。真面目に読み、実践した。ただ、途中でついて行けなくなった。そして、パニックになった。

私には信仰はない。聖典もない。自然な生き物として、ただ生きる。使命。そんなものは無い。あるとすれば、生きるとは楽しむことだという真理を実践すること。それだけで良い。

瞑想は悪くない。ただ、そこから高次の意識が得られるとか、霊からのメッセージが得られるという妄想(あるいは空想)は持たない方が良いだろう。もっと気楽に。ケ・セラ・セラだ。

コンビニに行って角ハイボール濃いめを買ってきて飲んだ。この味が私の定番だ。この味が良いのだ。1日208円+税。喫茶店のアイスコーヒーより安い。これが、今の私の一番の癒しだ。ただし、飲み過ぎはしない。1日に350ml缶を1本。それだけだ。

瞑想は続けよう。ただし、カジュアルに行こう。ありもしない、あるいは険しい真理などとは無縁でいよう。

私は、いつだって幸福だ。

 

中庸とは何か

昨日、本を読んでいた。

そこに「中庸」についての記述があった。

一つの大河があると思いなさい。一方の岸には快楽がある。一方の岸には苦痛がある。多くの人が、快楽と苦痛を行ったり来たりする。中庸とは快楽も苦痛も避けて河の中央を進むことなりと。

ハッとした。そんな中庸の解説は始めてだった。快楽もまた避けるべきものなのか。心に沁みるものがあった。

同じ本に、恨みや怒りを完全に消しなさいと書いてあった。それが修行であり、意識のステージを上げて行くのだと。なんともスピリチュアルだが説得力がある。

本は読み終えた。あとは実践だ。

視界は開けたのだろうか。

願望、いまはまだそれすらも未整理だ。

ゆっくりと急げ。

迷ったときは運命を信じなさい―すべての願望は自然に叶う

迷ったときは運命を信じなさい―すべての願望は自然に叶う

 

 

日本消滅

断層社会
もう、共有する文脈が無くなった
国家は消滅した
いったい誰が権力者なのか
政治か、官僚か、宗教界か、マスメディアか、何か

私にもぜんぜん分からない
すでに戦時中なのに報道は呑気だ

世界史的に国民国家が誕生して400年
そんなブームは、もう終わりだ

民主主義
なにそれ、美味しいの?
そんなものは長い歴史からみれば一つの流行
進歩でも、何でも無かった
衆愚の時代
当然の帰結

暗い時代の中の明るさは構造構成主義
みんなそれぞれの世界を生きる
スマホの中で、地域の中で、友達の中で

国民的連帯は消えた
日本消滅だ
現実が見えない

愚者が祈るのは
愚者が祈るのは
ただ、平穏であること
日本が消滅しないこと
そう、あの時と同じなのか

知っているのは運命を知る神々のみなのか