白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

何か書こうよ

茫洋としている。目指すべきゴールもなければ、未来の計画もない。当分は病状の推移を見ることになるだろう。張り合いは無いが、たいした苦痛も無い。ただ、漠然とした思いだけが漂う。そんな感じだ。

書きかけの小説「笑顔の監獄」で、障害者世界以外を一般世界とし、一般世界は明るく元気で笑顔に満ちていると書いたら、読者に馬鹿にされた。どこの国の話ですか。一般世界は苦しく、辛く、理不尽なのだと。もっともかもしれない。

つまり私は一般世界を知らないのだ。ごく狭いアッパーミドルか上流階級しか知らないのだ。そんな奴が書く小説など面白いわけがない。もしかしたら、落ち込んでいるかもしれない。自分ではよく分からない。

そもそも一般世界とは何か。人はそれぞれ見ている世界が違う。日本という国に住みながらも、それぞれが別の世界を生きているのだ。そういう多様な読者が、障害者世界の小説を読んで、どんな感想を持つのか。いや、それ以前に作家ならば読者層を想定しないといけない。

私は小説で何を訴えたいのか。政府の陰謀だろ。利権だろ。それしか無いだろ。障害の苦しみ。それを描くつもりは無いのだ。

「治りましたね。おかしいな。薬は飲んでましたか?」

医者にこの台詞を言わせたいのだ。

なんでも精神病にして、障害者手帳を強要し、薬を強要する、精神科医療利権。そしてそれを待ち受ける福祉利権。これが俺の妄想だ。この妄想を小説にするのだ。

混沌。一般世界像を馬鹿にされたが、それは良いことなのだろう。報いはある。現状は過去の報いなのだ。私は障害者世界の片隅で、コツコツと小説を書く。

障害者世界とは何か

 今、障害者世界をテーマにした小説を書いている。私自身、5年前に障害者になり、障害者の世界を知り、正直、驚いた。日本の福祉の手厚さに感嘆した。

 それにしても、障害者世界という言葉はいったい何を意味するのか。日本の障害者700万人が仲間意識を持っている訳ではない。そうではなく、障害者には独自の制度やサービスがあるということだ。

 言い方は汚いが、障害者は概ね貧困である。今は貧困でなくても次第に貧困になる。つまり、障害者は病気に苦しみ、貧困に苦しむ。それをサポートするのが福祉である。

 障害者の一番の苦しみ。それは退屈ではないだろうか。一般世界から疎外され、お金もなければやることもない。この状況は不安とも共通する。先など見えるはずもないのが障害者だ。それなのに、馬鹿メディアは頑張っている障害者を美化し、働くことが素晴らしいと主張する。行政もその方向で、就労支援にお金をばらまく。そして、そのお金の多くは障害者へではなく、社会福祉法人などの懐に入る。

 私が精神障害者になって一番に驚いたのは、家事支援でヘルパーが入ったことだ。もちろん無料である。二番目に驚いたのが地域生活支援センターという障害者のサロンのようなものの存在だ。ほぼ無料で利用できる居場所、喫茶店のようなものだ。三番目に驚いたのが訪問看護だ。週2回看護師が1時間自宅にきて話をする。まあ、それだけ私が重症なのだが、自立支援制度があるからお金がかからないのであって、実費なら月額10万円を超えるだろう。

 就労継続支援B型、A型も知ったが、筋悪の障害者ビジネスだなと思った。事業所によって玉石混交なのは明白なのだが、業界では、「合う合わないがありますから」という常套句が使われる。

 私の小説では、安価な労働力を大量生産する目的で、精神障害の範囲を広げ、有能な障害者をどんどん作ろうという政策を政府が内密に行うというものだ。そこに複雑な利権がからむ。障害者はピンクのICカードを持ち、健常者はブルーのICカードを持つ。障害者は一般世界から分離される。しかし、その中で障害者が幸福をつかみ、健常者が苦しむという絵を描こうというのは傲慢だろうか。顰蹙だろうか。障害者は健常者に感謝しなければいけないのだろうか。

 私は27年のサラリーマン生活で、すっかりビジネスの世界の価値観に染まっていた。自分は世界を見ていると思っていた。しかし、障害者世界のことなど、まるで知らなかった。今も私の中には「優劣」という語彙がある。優が健常者で、劣が障害者なわけがない。いや、そういう思考をしてはいけない。私はまだ、障害者世界の価値観を知らないのかもしれない。

 障害者世界とは何なのか。まだ、探索の途中なのだ。

変容する世界観

書けない。何も書くことがない。その理由を突き詰めると、世界観を失ったということに気が付く。そして、新しい世界観が存在していないということに気が付く。

私は別世界に来てしまった。転落から3年、まだ戸惑っているだけなのだ。

親分はとにかく、のんびりしろと言う。そうすれば、新しい世界が見えてくるかもしれない。新しい世界観を築けるかもしれない。まだまだ時間がかかりそうだ。

最近は障害者のサロンに行っている。少しは刺激になるし、何よりも歩くのが健康に良い。世俗のあくせくは、そこにはない。

どうなっても良いじゃないですか。

これは悟りかもしれない。

ああ、遂に悟ったのか。どうか。

 

奪われた言葉

「奪われた言葉」

 白井京月

 

叫ぶ言葉さえ奪われた世界では
創造することなどとてもできず
考えることなどどてもできず
ただ、時の流れに耐えるしかない

小鳥のように囀ることも
子猫のように鳴くことも

いつまでも続くであろうこの世界から
いったいどうやって逃げ出せばよいのか

警察に行って
親戚になりすまし
行方不明届を出したとしても
世界から消えることは難しい

起きる時間も
食べるものも
仕事をする時間も
すべては世界の命令だ

笑顔も
会話も
恋愛も
マニュアル通りでなければならない

そして、この世界は自由だと述べなければいけない

もしも別の世界があるならば
もしも別の時代に生まれていたならば
もしもを思い
目を閉じて
静かに眠る

もう、ここに言葉はない
もう、どこにも詩人はいない 

あるのはプログラム用の記号
あるのはプログラム用の文法

世界はシステムへと堕落した

人間は生命ではなくなった

私はいまや人間ではない

私は人間でありたくはない

この霊言だけが思いをつなぐ糸だ

つまり

私は人間でありたくはない、と