白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

日本の障害者数860万人

参考資料 障害者の状況(基本的統計より)|平成28年版障害者白書(全体版) - 内閣府

 

驚いたね。数年前の750万人から、100万人も増えている。それより、もっと驚いたことがある。

なお、この数値の身体障害者及び知的障害者は、「生活のしづらさなどに関する調査」(調査の概要参照)によるもので、精神障害者については、医療機関を利用した精神疾患患者数を精神障害者数としていることから、一過性の精神疾患のために日常生活や社会生活上の相当な制限を継続的には有しない者も含まれている可能性がある。

 なんと、障害者手帳の数字でも、障害年金の数字でもないんだ。水増しというか、隠ぺいというか、不思議な統計の取り方だな。

 

心療内科を受診すれば、貴方はそれだけで障害者に計上される。

 

意図。数字を大きくして予算をとりたいんだろうな。省益という奴だ。医療・福祉利権だ。それで、お題目はピント外れの共生社会。なんだかな。

 

小説「笑顔の監獄」が、やっと5万字を突破した。日本の近未来の医療と福祉にメスを入れている。あと何年かかるか分からないが、きっと完結するだろう。

 

それにしても酷い統計だな。悪いのは内閣府なのか、厚生労働省なのか。闇。

 

残された時間は少ないのだろうか

別ブログで、コメントに貴方に残された時間は少ないかもしれない、と書かれた。ハッとした。のんびりと回復を待っている場合ではないのかもしれない。

残された力を振り絞って、小説「笑顔の監獄」を書くのか、書かないのか。きっと書く。既に執筆を再開しているのだ。

薬を変えてから高プロラクチン血症を脱したのか、ここ数日、射精に成功している。それが良い影響を与えたのか、感情とか感覚が戻りつつある。あとは、知能の回復だ。まずはインプット。本を読めるようになるのが、第一段階だろう。

生活が出来ていれば十分じゃないですか。障害者世界では、こういう会話が当たり前になされる。生活できていれば満足だって。冗談じゃない。私はもっと激しいものを求めている。そこにしか手応えを感じない。充実はそこにしかない。

私の関心は精神科医療と精神障害者世界に釘付けだ。「笑顔の監獄」は、この問題を正面から取り上げる。しかし、現段階では問題の整理すら出来ていないのだ。それでも、5万字書いた。あと10万字。そのうち、主人公が誰かもわからない、支離滅裂な小説が完成するのだろう。怖い話だ。

それにしても、私に残された時間は、どれだけあるのだろうか。コメントをくれた方は、命ではなく、抗精神病薬で脳がダメになると言っていた。いや、もう既にダメになっている気もするのだが。苦笑

精神障害者としての人生というレールに乗って6年。そろそろ、そういう人生のレールを降りる絵を描きたい。残された時間。生活しているというだけでは意味がない。少なくとも私は意味を感じない。贅沢だと言われようとも。

 

障害者という身分

ネットでいろいろ調べていると「障害者という身分」という言葉にぶつかった。気分は悪いが、就労の現場においては、障害者は身分として扱われる。能力が劣る。賃金は安くて当然。この前提を破壊しないといけないと思った。
だいたい、精神障害者の就労率は1%以下だ。なぜ、障害者就労を叫ぶのか。そこに差別の根源がある。障害者は働かなくて良い。おしまい。それで良いではないか。
大金を使って大きな仕組みを作っているが、どれほどの効果があるのだろう。メリットとデメリットを比較して、デメリットの方が多いのだはないのか。
だいたい、働けない障害者に就労を勧めるという段階で、倒錯している。
一部の成功している障害者を美談として取り上げるメディアにも問題がある。障害者世界は見えないところでドロドロしているのだ。
働きたい障害者のいる一方で、大多数の働きたくない障害者が苦悩している。障害者は一枚岩ではない。

【参考】

http://www.ginzadori-law.jp/pdf/shokuriha22.pdf

障害と貧困の当事者研究の目的

研究の目的は実態調査ではない。
実は、同じ障害、同じ貧困であっても、スキルと情報の格差から、生活水準には大きなバラツキがある。どうせなら、生活水準は上げた方が良いに決まっている。
例えば、地域活動支援センターという仕組みがある。これなど、大きな予算を投入して作られた障害者のためのサロンなようなものであり、利用しないと損である。
ただで利用できるものを上手く利用する。情報のアンテナを高く持つことが重要だ。
障害と貧困の研究においては、その多様性にも着目する。
障害の定義障害者手帳を持っていることで明白だが、貧困の定義は難しい。統計学的な貧困線だけでは定義できないと考える。所得にのみ着目し、資産や負債を考慮していないからだ。
まあ、研究の目的は障害があっても、貧困でも、そこそこの暮らしをするにはどうすれば良いかということだ。
家計支出も考え方次第だ。スキルや好み、地域性によって、標準的にどれが良いとはならない。
とにかく行政の担当者と仲良くなることが重要だ。各地の社会福祉協議会など、破格のサービスを展開しているところもある。
本研究では、問題意識を持って新しい制度を提案するなどといった無謀なことはしない。いや、するかもしれない。先のことは分からない。
それにしても高齢化と家族の問題は大きいな。廃人化施設の問題もある。現実を見ること。フィールドは限りなく広い。どこかで絞り込まないと。

 

【参考】

D.culture | すべての人間は障害者である。