白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

仮面を捨てる

本当の自分て何よ
それは仮面をつけていない自分だよ
仮面か、いつもつけているな
それでは本当の自分を生きられないよ
いつも仮面などつけてはいけない
すべての仮面を捨てなさい
過激だな
それがパールズの教え
それがゲシュタルト・セラピーです
仮面を捨てて生きる
それで社会適応できるのか
大丈夫、本当の自分がそこにいる
これは最強の、そして最高の生き方
いまここの本当の自分を感じて
仮面が無いか注意深くチェックして
しなやかに
軽やかに
何よりも楽しい日々を生きる
生きるとは楽しいこと
わすれないで、本当の自分を
素顔のままで

思い出すのはやめよう

思い出すのはやめよう

記憶が薄れ、思い出せないから

思い出すのはやめよう

いまと比較して、苦しくなるから

思い出すのはやめよう

明日へと進めなくなるから

明日を思おう

そこに希望を見つけよう

未来を信じて

今を生きよう

過去は消し去ろう

それは重い荷物

そんなものは捨てて

今を生きよう

未練は毒

醜いもの

すべて捨てよう

 

障害者世界の居心地

障害年金を取得して6年になる。まさに転落の6年だった。振り返ると長くなるので、現状についてだけ書こう。

週1回の精神科通院。週1回の訪問看護。週2回のヘルパー。週に3回前後は地域活動支援センターに行っている。そして、暇な時間は、命の電話や寄り添いホットラインにかける。すっかりと障害者世界に染まった生活。帰属が精神障害者なのだ。

病状は安定しない。むしろ、悪くなっている。そして、制度設計された福祉システムの中で生きているのだなと実感する。正直に言うと、もう、一般世界が怖い。ケアされることに慣れ過ぎた。それでいて、障害者世界にも満足していないのだ。

なぜだろう。帰属が精神障害者だと嘯きながら、それを快く思っていないのではないのか。自分の中で、精神障害者概念を再検討する必要があるのではないのか。

地域活動支援センターに集う人々。同病者の方々。仲間。居心地は悪くない。だから、それで良いのかと思ってしまう。未来が無いんですよ。目標も何もかも。

それは制度ではなく、自身の問題だと言われれば、それまでだ。目標だって。私らしくないな。「障害者世界の居心地」と題したが、だんだんと障害者世界が見えてきたところだ。染まりたくない。しかし、すでに染まっているのだろう。問題は孤独。一人暮らしで身寄りがないことだ。真剣に彼女を作ろうか。しかし「お金がなければ、彼女は出来ない」という女性チームの合唱にあう。ああ、私は孤独と戦っているんだ。勝ち目のない戦いだ。なにで孤独を埋めれば良いのか。居心地の前に、大問題があった。

ニートの美徳

ニートは美しい。悪しき社会、悪しき雇用に巻き込まれることなく生きている。これが美徳でなくて何だろう。現代の貴族、それがニートだ。
悪しき社会だって。どこが悪いかだって。いちいち列挙しなきゃいかんかね。ふむ、俺には知能がない。その悪しき社会のお蔭でニートも生きてるんだって。それはそうかもしれんな。だから、ニートを現代の貴族として美化することに何の意味があるのかって話。おいおい、標題を否定されたか。
社会は最善ではないが、最悪でもない。それが妥当な見解だろう。
でもね、嫌なこと、理不尽なことも多いよね。嫌な奴も多いよね。
ニートへの嫉妬。わからないでもない。
毎日、朝から酒飲んで、タバコ吸って、ネットして。お気楽で良いよね。
ニートは悪と関わらない。やっぱりニートは美しい。おい、どんな論法だ。今日もいかれてないか。
あ、俺、ニートだからね。現代の貴族だからね。よろしく。