地域活動支援センター
私が今の地活(地域活動支援センター)に行き出してから、1年が過ぎた。優秀な2名の女性スタッフ。片方は施設長だ。私には、この居場所がある。というか、ここしか無い。徒歩30分、頑張って歩く。行けば何かがある。話相手がいる。とにかく、私は人との交流に飢えているのだ。
昨日は白玉を作って食べた。今日は連句会だった。毎日プログラムがあり自由に参加できる。月曜日は8月生まれの人の誕生日会だ。300円でご飯とケーキが食べられる。毎日閉所前にはコーヒーとお菓子が出る。これは無料だ。素敵な場所なのである。
地活で知り合った障害者達。何人かは家に遊びに来ている。いろいろな人がいる。いろろな人生がある。競争とは無縁な世界。それが精神障害者世界ではないのか。
それにしても、どうして地域活動支援センターという名前なのだろう。きっと、地域・活動支援センターなのだろう。日本には有り難い制度があるものだ。
精神障害者世界を作って良いのか、一般世界と融合するべきではないのか、という意見もあるだろう。しかし、あまりにも違い過ぎるのだ。なにもかも、がだ。
こういう所に慣れると、一般世界に出られなくなる。障害者であることへの甘えが当然のこととして許される場所。居心地は良い。ただ、どこかで、これで良いのかという疑問もある。オアシス。それは幻ではない。
詩を書く時間
静かな夜
爽やかな朝
落ち着けるカフェ
いずれにしても、詩を書くには時間がいる
そして、その時間こそが詩の内容そのものなのだ
詩において重要なのは透明度だ
透明感がなければ詩としていかがなものか
詩を書く上で重要なのは、詩を書く時間を作ることだ
静寂へと落ちて行く時間
本質が見え透いてくる時間
気分の安定
もちろん、怒りも、悲しみも、喜びもあるだろう
それらの感情も動くことをやめ
観察の対象になる
これは、詩を書くことをさぼっていた詩人の反省だ
書きたいときにはいくらでも書ける
しかし、それでは続かない
最低でも週1回は、詩を書こう
それには時間を決めることだ
毎週、日曜日
愚者の祈りを続けよう
詩そのものは作品だが
詩の醍醐味は詩を書いている時間にある
私は再び詩人になる