白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

どん底を徘徊し何を考えるのか

落ちるところまで落ちた
まだ、家がある
金は無い、借金はある
精神障害者だから薬を飲まされる
そうすると、好奇心と集中力を失う
何をする意欲も湧かなくなる
いつまで、そんな薬を飲み続けるのか
半年か、1年か、3年か、5年か、10年か
何かをやりたいと思うが出来ない
地活に通うだけでは物足りない
かと言って、何も無い
再び小説が書けるという感覚がない
そして、今日も、1本、2本、3本とハイボールを飲む
明日のお金が消えて行く
また、無一文になるのだ
米はある
カップ麺が無い
ピンチだ
社会派の詩人だったはずだ
ここへ来て貧困に追われているだけになった
貧困を括弧に入れろ
それが出来ない
染みついた貧困は世界を遠ざける
目の前の食糧のことしか頭にないのだ
しかし、病状は変化うると思う
動く時が来るだろう
今はギシギシと日常をこなすので精一杯だ
悪友が来る
ハイボールを持ってやってくる
俺はハイボールに負ける
堕落した日常
健康にだけは注意しよう
病状は、きっと変化する
その時、何が出来るのか
その時、何がやりたいのか
今は、ただ耐えて凌ぐ
病状は、きっと変化する
そう思わないと、やってられない
何かが変わるだろう
そう思わないと、やってられない
今はまだ静養の時
焦ってはいけない

至高の時。それは酒と煙草の時。

昔の私の至高の時は、喫茶店でアイスコーヒーを飲みながらの一服だった。そこには、テオリア(観照)があった。

しかし、貧困から喫茶店に行くのをやめた。お金がないから禁煙しようとしたら、精神科医に禁煙はやめましょうと言われた。

今の至高の時は、家でハイボールを飲み煙草をふかす時だ。喫茶店とどっちがお金がかかるか微妙だ。ハイボールは1本が、2本になり、3本になり、5本になるからだ。

ここで問題意識とか罪悪感に言及するようでは甘い。ポジティブ・シンキングで行こう。人生で、あるいは生活の中で、至高の時があるということが素晴らしいではないか。

もう、生産的なことには興味が無くなった。いや、能力が無くなったというべきか。もう歳なのだ。57歳だ。隠居で良いのだ。もう一花などと色気は出さない方が良い。疲れるだけだ。

酒と煙草をやめようなどと思うな。至高の時を失ってどうする。私は幸福に生きている。お金はないが、十分に満足だ。足るを知るとは、こういうことだろう。

この見解は、東京の友人との電話で出た話である。彼もまた、酒と煙草が至高の時だと言っていた。珍しい生き方ではないのだろう。

それにしても、2ケ月前は、禁酒、禁煙を考えていたのだから恐ろしい。生活の中で何が重要なのか。社会の通説を鵜呑みにする危険。素直に生きよう。

貧乏でも楽しく生きられます

55歳のMさん。女性。生れてから一貫して貧乏だったという。しかし、友達は多く、教養に溢れ、料理が得意。今は猫との暮らしが楽しくて仕方ないそうだ。

Mさんははっきり言う。

「貧乏でも楽しく生きられます」

とにかく、日常の中に楽しみを見つけることだと。

お金を使う楽しみしか知らない人は、貧乏になると苦労する。私がそうだった。もしもいま、お金が入っても、昔のような遊びはしないだろう。

貧困は社会の怠慢だが、社会変革は難しい。貧困の中で楽しく生きる術を身に着けるというのも有りだろう。それに、貧困でなくても、楽しく生きていない人は、いくらでもいる。精神的に豊かな貧困世界というのも、現実にあるのだ。

私は無一文になって足掻いている時に、Mさんから宅急便で食料を支援してもらった。

Mさんは言う。一人で楽しむより、二人、三人で楽しんだ方が喜びが大きくなると。

誰かに喜んでっもらいたい。その気持ちが出発点だ。利他的とも通じる。貧困世界は、ある意味で豊かだったりする。他者の痛みが分かるから、私たちは優しくなれる。

貧困イメージと見た目と匂い

今年は変化の年だった。精神科の主治医を変えた。金銭管理サービスを導入した。自炊をはじめた。そして、明後日からは配食サービスが始まる。生存条件との戦いに、一応のセーフティーネットがかかった感じだ。もっとも、今はまだドタバタしている。どう生きるかを考える余裕などない。今日、明日をどう凌ぐかで頭がいっぱいなのだ。

今の私の外見は浮浪者である。ボサボサの頭、手入れしていない髭、そして何よりも嫌われる匂い。こんな風になったのは、5年前からだ。会社員時代はオーダーメイドのスーツにブランドもののネクタイ。それなりの風貌だった。

見た目と匂いが問題化したのは、貧困というセルフイメージが出来てからだと思う。社会に対する緊張感を失ったのかもしれない。単純に外見と匂いを意識しようというだけでは、どうにもならない。セルフイメージを変えないといけないのだ。

そうだ、地域活動支援センター(地活)のPSWに協力してもらおう。まあ、来年の課題だな。今年の主眼は生存条件の確保だ。

それにしても、会社員時代は着たことのないジーンズをはき続けている。これは緩みの元凶のようにも思う。私のはいているジーンズは臭いのだ。

障害者支援センターの担当者とは寝具を一新する話も具体的に出ている。いまの寝具は臭いのだ。

貧困だからと言って、貧困をアピールする必要は特にない。地活にも、私の様な不潔な人間はいない。貧困と不潔はイコールではない。さあ、前向きになってきた。貧困と障害の当事者研究は続く。