白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

貧困を生きる意味

私は、4年前に貧困に転落した。状況は、どんどん悪化し、1日2000円から、1日1000円になった。障害があって、働けないのだ。
繰り返す、金欠パニック。人生初の無一文体験。それでも、生き延びている。
ここまで、貧困に適応するという方針だった。しかし、ここに来て、貧困を生きる意味が、わからなくなってしまった。
味気ない節約生活。文化からの疎外。つまらない日常。貧困とは、社会から疎外されることなのだと知った。
生きることには、意味がある。もちろん、人によって意味は違う。貧困でも、生きる意味はあるだるう。しかし、私は、意味を感じなくなってしまった。大問題だ。

一般世界の原理、障害者世界の原理

一般世界あるいは表の世界。障害者の親は、一度は一般世界で輝いて欲しいと願うものらしい。一般世界は豊かで、障害者世界は貧しい。一般世界は魅力に溢れているかのようだ。私は50歳まで一般世界で生きてきた。障害者世界を知らずに生きてきた。51歳で障害者になり、訪問看護やヘルパーさんが入り、地域活動支援センターに通い、就労継続支援B型に通った。これらは障害者世界だ。
いま、政府は障害者雇用に躍起だが、こういうモデルそのものが福祉の勘違いだと思う。あるいは利権だ。
障害者が一般世界の原理の中で生産性を発揮し平均的な賃金を得られるだろうか。企業には障害者を雇用するコストも発生する。もちろん助成金という蜜もある。障害者雇用を美化することの意味。それを噛みしめて考える必要がある。
善意。障害者も頑張れば素晴らしい一般世界で活躍できますよ。その門戸はある。しかし、それが出来るのは、コンマ数パーセントの障害者だ。
一般の障害者が望むのは、ケアされながら日常をこなすことであり、そういう仲間の居場所だ。障害者世界には障害者世界の原理がある。それは、一般世界とはまるで違うものだ。
何が言いたいのか。一つには障害者を一般世界に煽らないで欲しい。もう一つは、障害者世界の原理に即した障害者のための居場所や施策を増やして欲しい。
障害者の目標は一般世界でなくても良いし、就労でなくてもいい。障害を抱えながら日々をこなすこと。それが障害者の仕事なのだ。
上昇志向の福祉政策は滑稽だ。間違っても、障害者を安価な労働力として活用しようと思ってはいけない。目指すのは輝ける障害者世界だ。それは一般世界とは異質なものになるだろう。包摂は理念としては素晴らしいが現実的でない。
世界の原理が違うのだ。分離しようというのでもない。お互いの長所を学べばいいのだ。そして、差異を認め、理解し合うことだ。そのとき、新しい福祉の地平が開けるだろう。

熱狂という病理と疎外

熱狂は賞賛されている。熱狂は推奨されている。義務教育が始まる頃から、勉強にスポーツに熱狂する者は集団を作る。会社組織など熱狂がなければ勤まらない。家庭であっても、生活に熱狂する。熱狂こそ、社会を動かす原動力なのだ。
もちろん、熱狂に馴染めない人も少なくない。多くはDNAレベルの問題だろう。そういう人は排除され、うつ病になる。熱狂こそが病なのに、熱狂しないことが病とされる。不思議な時代なのだ。
社会的不適応。異様な社会に適応しないことが病気だって。冗談ではない。熱狂が無いと成り立たない社会の方が狂っているのだ。
20世紀型社会はいつまで続くのだろう。次世代文明のメルクマールは何か。社会病理学に真面目に取り組まないといけない。
個人には精神科医がいる。しかし、社会には社会精神科医がいない。わずかに社会学がその機能を果たしているのか、いないのか。社会学も幅が広い。しかし、現代文明の病理とその治療というテーマは聞いたことがない。真剣に、社会の健康を再検討する必要があるだろう。
熱狂型社会はもう、うんざりだ。なにがノーベル賞だ。なにがオリンピックだ。そんなものはいらない。それよりも、貧困を撲滅せよ。

薬物による思考停止

ワイパックスというベンゾ系の抗不安剤を飲んでいる。ロラメットというベンゾ系の眠剤を飲んでいる。インヴェガを飲んでいる。薬の影響だろう、思考するということが出来ない。
回復はあるのだろうか。ないと困る。