白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

パソコンは優先ではない

私は金銭管理を代行してもらっている。自分の通帳も印鑑も渡している。昨日はそのサービスセンターの担当者と打ち合わせだった。
なんと、残高が5万円以上ある。パソコンが買える。パソコンが買いたいというと、ダメだと却下された。貯金が増えたらね、と言われた。半年後だろう。
それほどにパソコンは必需品ではないのだろうか。作家がパソコンを持っていなくてどうするとも思う。
それにしても、自分のお金を自由に使えないとは情けない。最底辺の生活は、そこまで管理されるのだ。
そのうち文章の書き方も忘れる気がする。何も考えなくなる気がする。兆候はすでにある。
当分、パソコンは手に入りそうにない。脳が怠惰になる。もう、回復はないのか。劣化は進む一方か。流されて行く。何も感じない。ただ、虚しい。

無一文症候群

地活より。いくらお金があっても、すぐに無一文になる。薬剤性の過鎮静で知能が低下したからだ。アルコール依存症とういう話もある。医者は、18時までは酒を飲むなという。なんといい加減な治療なのだ。そんなことでアルコール依存症が治るか!!
いま、また無一文だ。どうかしている。今日は頭に来て精神科に行った。やっぱり入院はないか。酔っぱらっている。まだ、午前だ。危険だ。
で、何が書きたいのか。知能の低下がとまらない。困った。

パソコンが壊れたのでブログが書けません。

家のパソコンが壊れました。いま、出先からです。当分、パソコンを入手できる見通しはありません。家にいても、やることが無い。そういう訳で、このブログは休眠状態になりそうです。

「貧困と障害の当事者研究

「愚者の祈り」

どうなるのでしょうか。いま夢遊病状態です。何も変わりませんね、世界は。

アルコール依存症の顛末

7月から酒量が増えた。10月に精神科主治医に告白した。お金が無いのにお酒を飲むのはアルコール依存症ですね、と言われた。朝から飲むのは社会的逸脱行為ですねと言われた。何とか式のアルコール依存症テストを受けた。ボーダー。抗酒剤を処方すると言うので、それは断った。問題はアルコールを飲むことで、食費がなくなることだけなのだ。無一文になることだけなのだ。普通のサラリーマンなら余裕で普通に飲む量なのだ。問題は、お金だったのだ。
次の診察では、依存症ではないということになった。週1、2回、午後6時以降なら飲んでも良いですと言われた。
入院はどこも儲け主義で、3ケ月は入院させられるから勿体ないと言われた。アルコール依存症でもないのに、お金が無いから入院するというのは、筋が通らないと言われた。
今日、精神保健福祉センターと打合せ。主治医が入院が必要ないと言うのなら、自己判断で専門病院に行くことですね、と言われた。
それ以上に、私には断酒の気持ちがない。アルコール専門病院の治療方針は断酒である。これでは、入院は出来ない。
結論は、意思を強く持って節酒し、無一文にならないこと。これが今の時点での私の結論だ。また、無一文になったら発狂するのだろう。しかし、もう悩まない。結論は出たのだ。入院はない。専門外来もない。今の主治医に従う。これも、覚悟。