議論の目的は合意ではない

勘違いしてる人が多いようだけれど、民主主義における議論の目的は合意じゃないんだよ。議論というのは、立場も考え方もちがう多様な人が意見を述べることで、お互いの差異を知り、自らの意見をより高めるためにあるんだ。ましてや勝ち負けを決めるものではないんだよね。もっとも、意思決定のための議論の場合は、立場や利害がからむので面倒だけどね。

 

企業での議論なら、ある程度は利害が一致しているし、利益という目標が明確なので議論は比較的まとまりやすい。しかし、これが政治や経済となると、論点は多岐にわたり、議論ではなくショーになりがちだね。国会なんて本当は重要な会議であるべきなのに、ただのショーにしか見えないよね。まあ、政策論議は密室で行われていて、その内容を知るのは一部の人だけということさ。

 

議論にはレベルというものがある。レベルが違う人が集まって議論するのは難しい。官僚と政治家が議論したらどうなるか、笑うしかないでしょ。はっきり言って、議論できるレベルにある人など2割もいないよ。ただの感情や思い込みで判断する人がほとんどだよね。

 

BLOGOSだとか、有力ブログのポータルのような議論SNSもあるけれど、最近は中傷や罵詈雑言だけのコメントが増えてしまったね。残念だけど、参加者が増えるほどにレベルが下がって衰退するというのは、この種のネットワークの法則なんだろうな。mixiもそうだった。人が増えるとダメになる。根本的に目標を考え直す必要があるんだろうな。

 

テレビというのは、基本的に中学生レベルを基準に番組を作っている。討論番組だって、世論操作か、ガス抜きか、エンターテイメントという位置づけ。上意下達が当然と考えているのがマスコミ人だ。民意など聞くものではなく作るもの。マスメディアとは権力そのものだし、いまではネットもその傘下に組み込まれた。SNSで権力構造が階層型からネットワーク型に変わるだろう言った学者の予測は、完全に間違っていたということだ。

 

大多数の人は、あるべき社会についてのビジョンも理念も持ってはない。社会に対して批判的な議論好きも、各論で主調するばかりで、総合的なビジョンやパッケージとしての施策を示せる人がいない。問題だ、問題だと言うだけで、解決策を示さないでいる人のいかに多いことか。

 

繰り返すが、議論とは差異を知り自らを向上、成長させるためのものだ。頑なに自分の意見を変えないのであれば、ネットで一方的に呟いておけばよい。まあ、そんなものは誰も読みはしないが。