努力の本質は楽しむこと

努力というと「苦労すること、辛いこと」といったイメージを持つ人が多いんだけど、その種の努力は間違った努力なんだよな。

 

努力とは、やりたいことを実現したり実行することなんだから、そのプロセスに苦労があっても、基本的には楽しいものなんだな。努力することの楽しみや喜びを教えるというのが、教育の課題だね。やりたくもないことを強制されて頑張るのでは、成果も喜びも生まれない。

 

もっとも、社会で生きるために基礎的な教育は必要だ。だからまずは、社会で生きることの喜びを伝えないといけない。しかし現実には、勉強ができないと良い仕事に就けないとか、お金に困るとかいう脅迫的なやり方で勉強を強制しているのが学校のようだ。良い仕事って何だ。誰もが経済的豊かさを目指すべきなのか。

 

学問でもスポーツでも、考えること、トレーニングすることが楽しいから努力するわけで、単に外在的な結果を求めて、苦痛でしかない時間に多くの時間を割くというのは考えものだ。それでは結果も出ないし、挫折感だけが蓄積されることになる。

 

たいていのことは真剣に取り組めば楽しみを見いだせるように思う。楽しくないというのは、真剣にやっていないか、向いてないということなので、やめた方が良いんだよ。

 

仕事だから仕方ない、と思うかもしれないけれど、本当にやりたいことなら、意味を感じているなら、それを苦労だとは感じない。むしろ、課題や問題を乗り越えることこそが楽しいことのはずだ。それが出来ないのなら、その仕事は辞めた方がいい。たとえそれなりの経済的報酬が得られたとしても、精神的報酬がマイナスでは意味がないからね。

 

いろいろな考えや信念があるのは当然だろう。これは個人的な戯言なので、参考にしてほしいだけで、読者は主体的でないとこっちが困る。

 

なにが楽しいかは本当に人によって違う。資質も能力も環境も人によって違う。怠惰を好む人もいるだろう。それはそれで良い。ただ、社会は組織やチームではないのだから、一丸となって頑張ったら多様性のない全体主義に陥るだけだよね。

 

努力とは、そのプロセスを心から楽しむこと。目標とする結果は出ないかもしれないけれど、努力する喜びが人生を豊かなものにするんだ。

 

人間には四つのタイプがある。みんなと楽しく過ごすのが好きな社交人間、勝利を好む競争人間、知識や理解を好む学者人間、物作りに熱中する職人人間。これは岡田斗司夫氏の説だけど、どんな心理学の分類よりも的確だと思うね。

 

つまり、自分が努力して楽しいと思えることを見つけて、それに夢中になることが人生を楽しむ秘訣ってことだ。もしもいま、楽しくないのであれば、もっと夢中になることだ。あるいは別の楽しみを見つけることだ。それは仕事でも趣味でもいい。もっとも、疲れているのなら休んだ方が良いよ。

 

目標に向かって努力するのは良いが、その目標が適切かどうかをよく考えよう。それが、お金や地位や安定ならば考え直した方がいい。それは副次的なものだ、お金や地位や安定を得て何をするのか。それをまず考えよう。