白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

なんでも病(やまい)にする症候群

ある有名な学者が自分と異なる意見を持つ人に「病気」というレッテルを貼って切り捨てたのを見て驚いた。しかも現代思想が専門の学者だ。そんなに簡単に「病気」という言葉を使うとは驚き、桃の木、山椒の木だ。しかも、簡単に他者を排除し、差別するこの人の専門がレヴィナスなのだ。あ、誰かわかってしまうか・・・。

 

最近は、いろいろなものが病気として扱われる。少し落ち込んだだけで鬱病。人間関係が下手だとコミュニケーション障害。喫煙は依存症あるいは中毒。肥満はメタボリック・シンドローム。さらにはネット依存、SNS中毒なども医療の対象となる勢いである。これは医療関連産業の戦略に違いない。

 

そもそも病気とは何か。

一つには本人が苦痛を感じるか、苦痛はなくとも障害や死に至る危険のあるものだ。

もう一つが、本人に苦痛はないが、社会的に悪影響をもたらす徴候を有するものだ。

 

ネット依存などの場合、本人には苦痛がない。むしろ楽しいし、社会に迷惑をかけることもない。それでも病気と位置づけられる可能性があるのはなぜだろう。これは、現在の社会規範が正当であると主張するために、その規格から外れたものを病気として区別し、社会の無謬性を示そうという行為なのではないのか。「社会は正しい、あの人は病気なのだ」という言い訳が欲しいのではないのか。

 

それにしても、あの学者が平然と論敵を、そして批判者を「病気」と切り捨てたことは忘れないでおこう。付け加えるならば、病気が排除の理由だと考えること自体がおかしい。都合の悪いものを、なんでも病気にして排除しようというのは危険な考え方だ。

 

「なんでも病(やまい)にする症候群」と命名するのは自爆だろうか?