正しい責任の取り方とは

大阪は面白い都市だ。面白い人が知事や市長をやっている。選んだのは大阪府民であり、大阪市民。大阪は個性的な風土を持っている。 最近もニュースにこと欠かない。今日もセクハラで減給1ケ月となった大阪市の東成区長が市議会で辞職を求められ謝罪したらしい。これは刑事事件ではないが、不祥事を起こした場合の責任とは身を引くことでしかない。リーダーとは責任を負うということだ。責任を取れないような人は、リーダーとしての資質を欠いているのである。P.F.ドラッカーもそう言っている。 プロ野球では飛ぶボール問題で加藤コミッショナーが辞意を表明した。柔道では暴力問題で上村会長が辞職した。これは正しい責任の取り方だ。 しかし、不祥事を起こしても「私が責任を持って立て直しますので絶対に辞めません」という人が少なくない。実に見苦しい。最善の責任の取り方とは、去ることでしかない。 昔の武士は責任を取って腹を切った。現代はそのような野蛮さを嫌う。責任を取って自殺することも一般的には許されない。せめて、その世界から去ること。それ」がリーダーの掟ではなかろうか。 不祥事の程度によっては、謹慎や罰金という責任の取り方があるだろうという人がいるかもしれない。しかし、それは罰を受けたということであって、責任を取ったというのとは別の次元の話だ。前述の区長の場合、罰を受けたのであって、責任を取ったとは言えない。 別の責任もある。それは、政治家がよく使う「私が責任をもって云々」というやつだ。よくも軽々しくこんなことが言えるな、と聞いていていつも思う。「ならば、日本が財政破綻しそうになったら貴方の個人資産で何とかしてくれるのですか。取れもしない責任なんて口にするのは詐欺同然でしょ」そう思う人も少なくないだろう。 しかし、責任には法的責任、政治的責任、社会的責任があり、政治的な結果責任の所在は主権者にあるという考え方が通説なのだ。ネットでは政治家が攻撃されることが多いが、責任の所在は主権者である国民ひとりひとりにある。「そうか。1億分の1の責任か」と笑ってはいけない。政治に過剰な期待を持つのも困りものだが、政治的無知は問題外だ。貴方にも、私にも、政治責任はあるということを忘れてはいけない。