白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

情報中毒と情報失調

久しぶりに「情報環境学」大橋力著(朝倉書店、1989)を引っ張り出した。俺がこの本を入手したのが1990年の5月5日。俺はまだ20代で、時代はバブルで、もちろんインターネットは普及していなかった。

大橋氏の情報環境学とは次のようなものだ。

物質・エネルギーの概念に情報の概念を加え、これらが有機的に一体化したものとして環境を捉える発想のもとに構成される学問体系を「情報環境学」と名づける。



この定義は古くて新しい。いまはもっぱら「情報」にフォーカスした「情報環境学」が盛んだが、この大橋氏の定義の方が包括的であり有意性が高いと言える。

この本では、当時話題になっていた筑波病と自殺の問題が取り上げられている。「情報中毒と情報失調」という節では、自殺のメカニズム、精神病と脳の故障、うつ病・分裂病の動物は人工的につくることができる、情報による中毒おおび情報的な栄養失調、人間の脳はどこまで可塑性をもっているかなど、興味深い実験結果や仮説が展開される。

大橋氏が情報環境学で企図したことは、従来の環境概念の限界を示し、環境衛生の中に情報を追加することだった。情報環境の欠乏や、情報空間の歪みがもたらすもの。そうしたものを明らかにすることで、環境観を更新しようとしたのだ。

さて、時代は21世紀も10年以上が過ぎ、インターネットが一般化するとともに、いろいろなSNSが乱立し、情報環境は激動の中にある。それは大きな社会現象であるとともに、社会問題をも引き起こす。さらに、これが歴史の転換点だと指摘する学者も少なくない。

ツイッターであれフェイスブックであれ、固有の環境に浸り過ぎると情報空間は確実に歪む。しかも、その歪みは硬直化する傾向を持つ。マスメディア時代の浅薄で均一な情報環境の時代から、多様で濃密な情報環境へという変化は劇的だ。物理的な環境空間とはまったく別の情報的な環境空間を生きること。それが脳に、人間に、生活に、社会にどのような影響を与えるのか。まさにいま、壮大な実験が行われているのだ。

起きてから寝るまでスマホを使い続けるというのは完全に中毒だ。そして、異常な情報空間の中で生きることになる。ツイッターで知らない人の発信する情報に触れ続けるというのも危険だ。それは大きな世界のように錯覚しがちだが、極めて固有で狭い情報空間だからだ。物理的環境と情報的環境の乖離という現象は、コミュニケーションの前提を大きく変えた。これは社会学だけでなく、経済学、経営学、精神医学などのあらゆる分野で研究されているテーマだ。

一般人は研究などしない。一般人は、情報中毒や情報失調にならないように、ネット廃人にならないように十分に注意するだけのことだ。自分の情報環境が歪んでいるということを自覚しよう。いまでは誰もが特殊な情報環境の中で生きている。一般的な情報環境だとか、平均的な情報環境というものが設定できない時代を私たちは生きているのだ。

限られた情報空間に埋没しないように。物理的環境を軽視しないように。自戒を込めて・・・ツイッターはほどほどにしよう。