精神科医療と人格改造

精神科医、村井俊哉氏の「人の気持ちがわかる脳」(ちくま新書)という本を読んだ。昨今の新書ブームで指摘されている通り、全般に新書の質は著しく低下している。申し訳ないが、本書もその例に漏れないと言って良いだろう。筆者の主張した点と全体の構成がまるで噛み合っていないのだ。

ただ、この本の良さは、この齟齬にこそある。筆者は精神科の臨床に携わりながら、現在の薬物療法について悩んでいるのだ。筆者が本当に書きたかったのは、この点についてなのだろうが焦点を敢えてぼかしている。そこが面白い。

脳の「腹内側前頭前皮質」という場所は、個人の根本的な価値観、心、人格を司る部位であると言われている。そして、鬱病に用いられるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬、デプロメール、ルボックス、パキシル等)は、この部位に直接働きかけて人格を変えているように見えると筆者は言う。これが筆者である精神科医村井氏の根本的な問題意識だ。処方そのものを否定している記述はないが、苦悩が文章に滲んでいる。

さらに、最近の鬱病患者の増加について「ハイテク資本主義」時代の理想的人物像を持ち出し、ある仮説を述べている。つまり、自信満々で柔軟性があり、仕事が速く、エネルギッシュにして社交的な人物。これが、ハイテク資本主義での成功者に共通するキャラクターなのだと。そして、そういうパーソナリティにならなければいけないという圧力が、鬱の原因になっているという仮説である。

筆者は臨床経験から、そうして鬱になった患者をSSRIを使って人格改造し、ハイテク資本主義に合ったパーソナリティに変容させて社会に送り返しているという印象を持っているようだ。実に怖ろしい話ではないだろうか。

「腹内側前頭前皮質」に影響を与えるのは、SSRIだけではない、SDA(セロトニン-ドーパミン拮抗薬)でも何でも、脳内物質に作用する精神科の薬はすべてと言って良いほど関係するだろう。ノーベル賞で有名な利根川進氏の夫人でもある吉成真由美氏(脳科学者)は、著書の中で脳のことなど分かっていないのだから薬を飲むのは危険だと書いていた。ダイヤモンド・オンラインで鬱について連載している泉谷閑示氏のクリニックでは薬物を用いていないと言う。

もっとも、問題とされるべきは薬だけではないのかもしれない。村井氏も言うように、カウンセリングや自己啓発も、価値観や人格に影響を与えるのだろう。いずれにしても、一番の問題は「特定の理想とするパーソナリティを作りだそうとする圧力」だ。心の病や引きこもりの増加は、そうした社会的な圧力に対する抵抗なのではないだろうか。生物の多様性以上に人間の多様性を認め合うこと。人間的自然を大切にすること。環境のエコロジーだけでなく、社会的、精神的エコロジーを推進すること。そんなことが大切なように思われる。人造人間で埋め尽くされたような世界に誰が住みたいだろうか。

とはいえ鬱はつらい。患者側からしても薬も必要なのだろう。難しい問題だ。