人類の普遍性と家族システム

「文明の接近」で有名な家族人類学者エマニュエル・トッドは、世界には8つのタイプの家族型があるという。なかでも典型的なのが権威主義核家族と、平等主義核家族だ。その差は、兄弟について長男に優越性があるかないかが識別の要素になる。長男が優先される家族が権威主義核家族だ。

ヨーロッパでいえば、フランスは平等主義核家族、ドイツやスウェーデンは権威主義核家族に分類される。そして、家族型は社会構造と相関する。平等主義の場合に個人主義的色彩が強くなるのだ。日本はドイツなどと同じく権威主義核家族に分類されている。これは中国などの東アジアの外婚型共同体家族とはまったく異質なものだ。故に、日本は東アジアとの一体化は無理だとトッドは言う。

この違いが、人類の普遍性という観念を持てるか持てないかという決定的な差になるのだとトッドは指摘する。そしてナポレオン以降の歴史においてそれを説明するのだが、なるほど説得力がある。普遍的人間を想定できるかどうか、万人と行った場合に世界中の全員を等しいものと想定できるか、これは個人的な施策や感性ではなく、家族システムおよびそれによって規定される社会構造によるのだと。確かに、日本人もドイツ人も、民族の独自性を主張すると思うが、フランス人が本当に普遍主義的な人間観に到達しているかどうかは疑わしい。

トッドは人口動態と識字率から近代化を予測できるとした。ソビエトの崩壊、アメリアの衰退、アラブの春などを予言し、未来は文明の衝突ではなく徐々にではあるが世界中が近代化するのだと考えているようだ。

トッドは世界がひとつに統合されるなどとい幻想を持ってはいない。しかし、人類の普遍性という観念を持てる国と、持てない国の溝は埋まらないのかと思うと少し眩暈がする。万人が、文字通り平等と感じられるかどうか。これは近代性の中にある溝ではないだろうか。個人の問題というだけでなく国民性の問題だ。もっとも、この差異は善悪や優劣ではないのだとも思うのだが、どこかにもどかしさがある。

さらに日本の家族型についてのトッドの見立ては正しいのだろうかとも思う。ここ十数年で亜種に変化しているのではないか。そして、家族型と社会構造の関係の変化について、より深く調査、研究する必要があるのではないか。社会学、政治学、人類学、経済学、国際関係、地政学を横断するトッド。ただし、哲学者とだけは呼ばないで欲しいとのことだ。哲学者というのはトッドにとって侮辱になるらしい。故に哲学者からは嫌われている。まあ、この話はまたいつか。