白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

家計の支出を下げて、生活の質を上げる。

昨日になって以下のことに気がついた。

1.月々の支出を上げて、生活の質を上げることは可能だ
2.月々の支出を下げて、生活の質を上げることは可能だ
3.月々の支出を上げて、生活の質を下げることは可能だ(意味がない)
4.月々の支出を下げて、生活の質を下げることは可能だ(やむを得ない場合がある)

家計簿を分析したことがるだろうか。そもそも家計簿があるだろうか。単に無駄を排除して節約しようと言うのは不愉快だ。哲学者としては、支出を削減するとともに生活の質を上げることを考える。

例えば、外食をやめて料理を趣味にする。つまらない飲み会は断固断る。アマゾンで買う本を中古にする。街を歩いて価格情報に詳しくなる。愛人を手放す(手切れ金との関係で手放さない方がよい場合もあるが・・・)。家計簿をつけて節約を楽しいと感じるように体質を変える。生活そのものを楽しむ。などなど。

つまり、生活のエコロジーをすることで、支出を下げて生活の質を上げることは可能となる。そもそも、消費が増えれば豊かな生活になるという発想が、近代経済学的成長至上主義の罠なのだ。20世紀的な見え透いた罠にかかってはいけない。もしも、罠にかかっているならば脱出しなければいけない。

大事なことは、イベントや世間体ではなく、瞬間、瞬間の生活そのものに価値を見いだすことだ。一杯のコーヒーを十全に楽しむ。日々の反復の中の差異を楽しむ。欲望の座標軸を書き換える。貨幣価値だけで比較するという悪弊を捨てる。そうすることで、新しい生活が生まれるだろう。

みんながそんなライフスタイルになったら日本経済が心配だって?

大丈夫、みんながそんなライフスタイルになることなどない。ここは、チープな経済ゲームの中毒になってしまった人たち国だ。ホリエモンとドラえもんを輩出した国だ。多数派になる必要も、輪を広げる運動もいらない。少しずつ「生活のエコロジー」を知る人が増え、そういう人どうしのつながりができる。そんな未来を想いながら、真に豊かな生活をしたい。

仕事とは賃労働だけを指すのではない。生活のすべてが仕事であり、それ以外は余暇と祝祭だとする学者もいる。睡眠も食事も、もちろん仕事に属する。21世紀は、ポスト賃労働、ポスト雇用の世紀になる。自分の仕事を持つことが重要になる。仕事を再定義しよう。豊かさを再定義しよう。新しい経済学を構想しよう。すでに時代は動きはじめているのだから。