6.心理主義の危険

精神分析を素人がやってはいけない。人は誰も心に物置を持っている。ちょっと入るだけで、いろいろなものが出てくる。それを扱えるのは経験を積んだ専門家だけだ。物置からいろいろなものを引っ張り出すのは簡単だ。 しかし、どれが本質かなど分かったものではない。目にするどれもが本質だと思えてしまう。記憶は無限にある。どんどんいろいろなものが引き出される。そし て収拾がつかなくなり、状態は悪化する。これはよくある話だ。専門家だけが引き出された記憶のガラクタを整理できる。スキルも経験もない素人には不可能なのである。

ゲシュタルト療法の祖である、F.パールズは「今、ここ」だけに注目せよと言った。それが一番確実で、手っ取り早いからだ。臨床としてこの姿勢は正しいのだろう。

いまは、ネットで2万5千円で心理資格が手に入りますという広告が出され、20時間程度の勉強で心理療法家を促成栽培する民間資格がいくらでもある。私も実際に知っているが、カール・ロジャースの名前すら知らない自称専門家すらいたのには呆れるしかなかった。

私はいろいろな心理学を知識として知っているが、どうしても斜めから見る癖がある。マインドを変えれば状況が変わるなどというのは、とんでもない理屈だ。主流派の臨床心理学は社会通念を押し付ける。異端は検証が無い。本当の自分をありのままに受け入れる、あるいは手放す。どれもこれも実に怪しい。そしてい、いたるところで怪しいセッションが行われ、時は流れ、お金が動く。今、カウンセリングを受けたいと考える人が増えるのと同じく、カウンセラーになりたいという人も増えている。カウンセラーなら私にでもなれる。そういう勘違いをしている人が山のようにいる。

巷には、幸福になれる、などといったコピーに飛びつく人が多い。しかし、常に幸福だということなどあり得るだろうか。共感もそうだ。それは稀だから喜びなのであって、いつでも誰とでも共感できるならば、そこに喜びはない。

ここまで、私はかなり現実的なことを言っていると思う。さらに言えば、私は脳科学についても斜めに構えている。特に、世俗の脳科学は安っぽい人生論のようだ。また、脳科学が倫理的な問題の基準になるなど怖いことを言う人もいる。脳科学は科学の玉座を目指しているかのようだ。

バートランド・ラッセルは、幸福は内界ではなく外界に求めるのが健 全だと言った。その理屈は私にはよくわかる。それでいながら、私は内面への興味から離れられない。心の物置の隅を見たいという欲望に逆らうのは実に難しい。そして、これは現代に特有の誘惑なのだとも思う。

問題は、一般人が心の問題を抱えている人から逃げて、それを専門家に押しつけようとしていることにある。悩みや落ち込みには鬱というレッテルが貼られ、専門家と称する人々のいる業界に委ねる。「鬱は心の風邪」「早期に病院へ」などのキャンペーンの影響で、多くの人が簡単に「病人」にされる。

精神科医療やカウンセリングは必要だ。しかし、安易な心理主義や自己啓発は思考停止を招く。心が変われば世界が変わるという人もいる。どう変わるのかは知らないが、それはとても恐ろしいことなのではないだろうか。

胡散臭いカウンセラーの特徴は「批判はよくない」と最初に釘を刺すことだ。これは、その人の師匠からの受け売りだろう。愚かなる師匠は批判されるのが怖かった。それだけのことだろう。また「批判は自分に返ってくる」と忠告する人もいるが意味が分からない。私は批判されることなど大歓迎だ。それこそが自らの進歩、成長の絶好の機会ではないか。批判は否定ではない。批判することで相互に 進歩、成長できると思うからこそ批判するのだ。余談が長くなったが、とにかく心の持ち方で人生が変わるなどという戯言に騙されてはいけない。現在の心理主義の風潮は滑稽なだけではなく、とても危険なものだ。

このような状況になったのは、家族や地域社会、友人関係といった利害ではなく結ばれた信頼のおける第一次集団が崩れたという社会的背景がある。家族も親友も、深い悩みの話し相手ではなくなってしまった。そこに、心理の専門家というビジネスが生まれ「トンデモ心理学」が数多く生まれたのだ。もちろん、マトモな専門家もいるが、間違いなくその比率は低い。確率的に言って、マトモな専門家に出会う前に、トンデモナイ自称専門家にお金を貢ぐ可能性の方が高い。直裁に言えば、カウンセリングを受けることで状況は悪化する可能性が高いと言える。

解決策は以下の二つだ。家族や友人の悩みから逃げずに話をすること。また、当事者は主体性を放棄して結論を第三者に委ねないこと。これが肝要だ。相談相手がなく、主体性が崩壊したならば、多くの場合「心理ビジネスの餌食」になる。日本はこの分野で世界の最先端にあるという。もちろん、悲しむべきことに。

(2012年10月)