白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

次世代文明を考える

ドラッカーは10年以上前から「文明の分水嶺」という言葉を使っていた。この分水嶺が何十年になるのかは後世の歴史家が決めることだろうが、未だに新しい文明の形を明確に予測できる人はいない。もしも、確信を持ってその全体図を語る人がいるならば、それは詐欺師という種類の人だろう。

さて、私も十年以上前から現代文明の根本問題と次世代文明について、いろいろな角度から考えてきた。それらを踏まえて、現時点で明らかなことを簡潔に記しておく。

 

1.権力

権力が交替したとしても、その構造が変わらない限り大きな変化が起こることはない。ここで言う構造とは、経済、言語、生活様式などからなる世界の文法である。権力はこれらの構造を支配している。私たちはこの支配の現実を認識し、より良い方向に変化させることを考えるべきなのであって、必ずしも新しい権力を求める必要はない。

2.経済

大衆はいまだに経済成長を求めているが、世界の支配階級が「脱成長の経済システム」を模索していることは明らかである。しかし、多くの経済学者の努力にも関わらず、脱成長の経済システムには人々を労働へと掻き立てるエンジンがない。つまり、新しい誘因力を発明する必要がある。

3.言語

人々を支配しているものは言語であり、言語を支配しているのは権力である。たとえば、20世紀に特有の言葉として以下のようなものがある。

効率、システム、プロジェクト、健康、発展、進歩、開発、成長、豊かさ・・・。

私たちは知らない間に特定の価値体系に洗脳されているということだ。

次世代文明では、まったく異なる言葉が重要な役割を果たすことになるだろう。

4.生活様式

日本を例にとるならば、大家族から核家族、さらには離婚、非婚という形での個人化と地域コミュニティーなどの中間共同体の消失が大きな問題だと考えられる。この形態は権力と個人が直接に接続される形であって、とても管理されやすい脆弱な状態だと言えるからだ。次世代文明では、新しい形態の第一次集団とコミュニティが大きな役割を果たすことになる。

次世代文明をリードするのが帝国だとは限らない。経済戦争の勝者だとは限らない。もしかしたら、国家が大きすぎること、広すぎることは、進化の妨げになるかもしれない。

鍵を握るのは文化的な卓越であり文化面での革新だ。もっとも、各国の家族形態、宗教、社会構造は大きく異なるので、次世代文明がどこまで世界共通の特徴を持つのか否かは不鮮明ではある。

はたして私たちはどのような生活を望んでいるのだろうか。この点について、現在の延長線上の社会、現在の延長線上の言語ではなく、白紙の状態から夢想することも有益だと思う。

文明の変化は制度に依存しない。そうではなく一人一人の意識の変化だけが、次世代文明への道を切り拓くのである。おそらく、いまの中高年が次世代の姿を見ることはないだろう。ただ、いまの若者は次世代文明を経験するかもしれない。言い換えると、主役はいまの若者だということだ。健闘を祈る。