白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

政治と経済のブロック化

■はじめに

安倍政権の発足以来、日本は戦争への道を着実に進めているように見受けられる。NHKはじめマスコミを支配し、言論・表現の自由を制限するとともに、大企業や宗教界とも緊密な関係を築いた。解釈改憲、秘密保護法、集団的自衛権など、もはや独裁体制になったと言っても過言ではない。多くの識者はいろいろな情報をネットで流している。市民はそれを読み、twitterなどで戦争、原子力、自由の危機を叫んでいる。

しかし、私はそのような活動をしない。それが正義感がないからだとも、勇気がないからだとも思わない。影響力がゼロの人間が1万人集まろうが10万人集まろうが、ゼロをいくつ足してもゼロだ。抗議活動に参加することもしない。それは実質的に効果がないばかりか、逆に思う壺のようにすら思える。本当の敵は、政権ではなく大衆だ。正しい知識も問題意識もなく政府やマスコミを信じる大衆、隷従する大衆だ。国民の過半数がこのような大衆である限り、マトモな政権などできるはずもない。

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシは「自発的隷従論」の中で次のように述べている。

圧制者には、立ち向かう必要なく、打ち負かす必要もない。国民が隷従に合意しない限り、その者は自ら破滅するのだ。何かを奪う必要など無い。ただ何も与えなければよい。国民が自分たちのために何かをなすという手間も不要だ。ただ、自分のためにならないことをしないだけでよいのである。民衆自身が、抑圧されるがままになっているどころか、敢えて自らを抑圧させているのである。彼らは隷従を止めるだけで解放されるはずだ。

隷従に合意しないこと。自分のためにならないことをしないこと。ただそれだけだ。もちろん、特別な情報や立場から活動している人もいる。正しい情報に基づいて考えることは市民の条件だ。権力やマスメディアに隷従する大衆であってはならない。

もっとも、無知な大衆の意思を変えよう変えよういう努力は無駄に終わるだろう。理解力のない人に、何をどう説明すれば良いというのか?

このような考え方を批判する人もいるだろうが、これは個人的な問題でしかない。

 

■国際情勢の流動化

グローバル化と言われながら、現実に進行しているのは経済と政治のブロック化だ。そこでの主なプレイヤーは、アメリカ、EU連合、中国、ロシアである。

日本は戦後、アメリカの核の傘の下で経済成長を遂げた。しかし、東西冷戦が終わり、中国が台頭したことで、日本の地政学的な位置づけが変わってしまった。アメリカは中国との安定した関係を強く望んでおり、中韓との軋轢を抱える日本との関係に苦慮している。日本は必然的にアメリカとの関係に不安を持つ。そのような状況の中で、日本は大きな選択を迫られている。具体的には、以下のような選択肢選択肢がある。

1)従来通りの強い日米関係を維持する

2)アジアの一員としての地位を築く

3)アメリカにもアジアにも属さない独立国家日本を目指す

4)その他

まず、国際情勢から見て1番は難しい。2番も近代史と現在の近隣諸国との関係などから無理な話だろう。従って、現状では3番目の選択肢である真の独立が望ましいという判断から、憲法改正などが政治日程になっているものと推察できる。

ただ、このブロック化という流れの中で、日本がどのブロックにも属さずに独自のパイプで政治や経済を安定させるというのは非現実的だ。それは古い時代の国家観によるもので、現在の国家に求められているのは独立性よりも関係性だからだ。国家の主権もまた、国際社会によって強く制限される。そこには規範だけでなく力関係が含まれることは言うまでもない。

当然ながら、経済のブロック化と政治のブロック化は密接なものだ。その意味からもTPP交渉は、今後の100年にわたる重要問題であり、その詳細を国民が知ることができないのも無理のないことだろう。

 

■戦争になる可能性

東アジア情勢、特に中国、朝鮮半島と日本の間にどのような駆け引きがあるのかは一般人にはまったくわからない。雑誌などのプロパガンダを信じるようでは話にならない。ただ、水面下に相応の緊張関係とそれぞれの思惑があることは確かだ。摩擦は既にあるし、衝突や紛争がいつ起きても不思議ではない。

いまになって国民が現在の独裁体制に反対しようとしても後の祭りだ。前回の衆議院選の前から、自民党は独自の改憲案を提示していた。それを知らなかったと言うのなら国民が悪い。民主主義とはそんなものだ。以前「大衆vs市民」というエントリーを書いたが、考える市民が洗脳された大衆に敗れたのだ。私は悪あがきはしない。無駄な抵抗はしない。ただ、ポエシの言う通り隷従もしない。それだけが、私にできる唯一の抵抗なのかもしれない。

戦争になるかもしれないし、ならないかもしれない。しかし、少なくとも覚悟はしておいた方が良いだろう。とにかく生き残ることを考えるのか、やりたいことをやり尽くすのか。それとも歴史の証言者として書くのか。勝算の無い戦いほど愚かなものはない。もっとも、このエントリーも愚かなのかもしれない。これを書いたことは、私の最低限の良心だ。

短絡的に反応するよりも、静観する方が賢明に違いない。