価格と賃金の経済理論

■はじめに

これから書く記事は、現実を知っている人にとっては常識に過ぎない。しかし、テレビや新聞、雑誌や過去の経済学の知識や情報を鵜呑みにしている人にとっては、常識が逆転するかもしれない。もっとも、一般に流布している経済の見方が無意味なものであることを簡潔に書いただけのことだ。過去の経済環境では有用だったかもしれない経済学、そして法律や制度も、新しい環境では意味をなさないということ。古い常識、古い指標を捨てなければいけないということ。それは、より良い未来を考えるうえでの前提なのである。

 

■価格の理論

「価格は需要と供給によって決まる」いまだにこんな理論を信じている人もいる。もっとも、これは高校の教科書や大学の教養で学ぶ経済学の基礎だ。しかし、これは新古典派をベースにした近代経済学が作った数学的モデルというだけで、現実の価格はまるで違う要素で決まってくる。

(1)石油・穀物

石油や穀物の価格が極めて重要であることは言うまでもない。現在、これらの価格は先物取引を組み込んだ高度な金融工学から生まれたデリバティブ金融派生商品)の動向に依拠している。本来は価格リスクをヘッジするために作られた理論なのだが、現実には石油も穀物も巨大資本やファンド(政府系を含む)の投機の対象となっており、こうした投機機関の思惑で価格が決まる。需要関数も供給関数も関係ない。むしろ価格動向を先読みして産油国は供給量を調整する。これが主要な資源の価格決定の実情である。

(2)一般の価格は限界費用まで下落する

競争市場においては、価格は限界費用まで下落する。企業は生産量を制限し価格を上げて利益を増やすよりも、価格を下げて市場シェアを増す道をとりやすい。実際に、企業は製造コストのギリギリ、つまり限界費用価格まで安くしようとする。価格が下がることで需要が喚起でき、価格を下げれば下げるほど需要は増えるからだ。これを「ベルトラン競争」という。

日本のデフレ環境では、このベルトラン競争が加速する。コモディティ化から脱け出す戦略は失敗する可能性が高い。逆に、デフレ環境を利用する戦略を採用した企業が成功しているという事実については、具体例をあげるまでもないだろう。

(3)円安はボディブローだ

この前の選挙の時に、ある候補者が「日本経済は輸出増やすこと、そして製造業を復活させることが重要だ」と演説しているのを聞いて驚いた。いまの日本経済は輸出主導でもなければ製造業中心でもない。この候補者が本気でそう考えているのか、投票にくる高齢者の支持をえるための方便なのかは知らないが、いまだにマスコミもこういった過去の言説を頻繁に用いているようだ。そして、円安は輸出にとって好ましいと政策当局は自画自賛するのだが、これは石油やガスその他の輸入品のコストを上げて一般企業の経営を圧迫する。

普通に考えてるならば、円安はとても喜べることではないのだが、過去の日本を支えてきた輸出型製造業への義理なのか癒着なのか、とにかく一部の企業や団体の利益を守るための政策が、堂々と日本の利益にすり替えられているのだ。

しかし、物価はそれほど上がらないかもしれない。というのも、経営者は増えたコストを賃金を減らすことで価格を抑えようと考えるであろうから。

 

■賃金の理論

新聞などでは、平均賃金、有効求人倍率失業率、大卒の就職率などが頻繁に取り上げられるが、これらの指標にはあまり意味がない。

そもそも賃金は景気や業績によって決まるような性質のものではない。賃金は職種や業界、企業規模などによって異なる体系的な制度の中で決められているのであって、業績や成果は多少影響を与えるといった程度だ。

仕事には、いくつものクラスターがある。資格や専門性、キャリア、業界経験などは人によって違う。業界間あるいは企業間にも格差や序列のようなものがある。

近年は大企業の労働分配率が低下し、内部留保が増えていることを問題視する人もいるが、企業が業績を基準にして一定の労働分配率で年俸なり賃金を決めることなどナンセンスな話だ。賃金が毎年乱高下することを望む人は極めて少ないだろう。

有効求人倍率もそうだ。企業側の望むクラスタも多様であり、また供給側の人材のクラスタも多様だ。つまり、クラスタごとの有効求人倍率を見なければ意味がない。薬剤師が足りないと言っても、薬剤師の資格を持っていない人には意味がない。営業職であっても中途採用ならば業界知識などのキャリアが問われる。グロスの数字で有効求人倍率が1を超えたとからと言っても、それでは何も語っていないのと同じだ。

特に重要なのは、「誰でもできる仕事の需要」と「誰でもできる仕事しかできない人」というクラスタにおける求人状況だ。昔の企業には、そういう仕事が多かったし、入社後に社内でゆっくりと教育するという考え方があった。しかし、経営の考え方も労働環境も大きく変わった。

最近は、3K(きつい、汚い、危険)の仕事が嫌われると主張する人もいるが、それは違う。問題は「仕事に見合った賃金ではない」ということだ。もし、賃金が需給できまるのならば、3Kの仕事は高賃金ということになる。しかし、現実がそうならないのは、構造的、社会的、文化的、制度的な問題が大きいからだ。

労働関係の法律(制度)は、当時の経済環境においては機能していたのだろう。しかし、いまではこれらの諸制度が恵まれた労働者を守るたものものとなり、恵まれない労働者にとってのメリットになっていない。先進国の中でも異常に低い最低時給を見れば、制度の抜本的な改革が必要なことは明らかだ。

失業率についても正しく理解する必要がある。この数の分母には就業をあきらめて求職活動をしなかった人の数が除かれている。失業率よりも就業者数の増減を見る方が実態がよくわかる。

大卒の就職率にしても、就職先の変化を見なければ実態はわからない。就職後3年以内に辞める比率が高いのは、「最近の若者には根性がない」からなどではなく、仕事の内容や質、職場の風土や待遇などが昔とはまったく違っているからでしかない。

もっとも、昔は一流企業や公務員は安定していると考えられていたが、一流企業に就職した場合の予想される生涯収入は激減している。もちろん、いまでも中小企業との格差は大きいが、これも平均の話であって例外は多い。もっとも、仕事を年収だけで評価するというのはおかしな話だ。仕事から得られるものには、経済的報酬だけでなく精神的報酬もある。生活を犠牲にしてでも高収入を望むのか、ある程度の収入で満足して楽しむのか、生き方はいろいろある。

 

■ポスト雇用制度と新しい企業

社員制度の国際比較や、労働関係諸法の歴史を書くと長くなる。まず、調べなければいけないからだ。(笑)限定的な話になるが、日本の企業において終身雇用の制度が確立し、それに対応した法整備が行われたのは第二次世界大戦後のことだ。それは、社員の権利を守るということだけではなく、将来を約束するかわりに定年まで働く人が欲しいという経営者の思惑でもあった。

何度も繰り返すが経済環境は激変した。経営環境も激変している。小泉・竹中構造改革については言及しないが、経済環境は変えたのではなく変わったのだ。問題は新しい経済環境になって諸制度が機能しなくなった、あるいは負の方向に作用しているということだ。

そもそも、日本企業について言えば、被雇用者であるということは「奴隷的であって当然」という風潮が未だにある。奴隷という表現は不適切かもしれないが、そう感じている人は少なくない。

アウトソーシング派遣社員、嘱託、業務提携などの流れを見ると、いずれ「雇用」という言葉は歴史的なものとなり、死語になるのではないだろうか。これからは「雇用」という概念を根本的に見直し、新しい企業や組織、個人との関わり方を模索する必要がある。今の若者は、正社員という言葉に魅力を感じない人や、むしろ社員(社畜)にはなりたくない人が確実に増えている。

正社員、あるいは雇用という考え方に執着するのではなく、多様な働き方、企業と個人の新しい関係を考えた方が良い。少なくとも、現在の労働環境のままで、正社員化や雇用の増大を目指すというのは、方向性が間違っている。「社員とは何か?」を問い直すことは、新しい経済システムに転換するためのに不可欠の問題なのだ。

戦後の日本では、本来は国が負担するべき福祉のコストを企業が担っていた。企業にはそれだけの体力があった。しかし、現在は違う。また再び、無理な雇用政策によって福祉コストを民間に負担させるのではなく、社会保障および福祉についての新しい環境に見合った、新しい考え方での制度改革は喫緊の課題だ。何度も書いているが、日本の国家予算に占める社会保障費の比率は国際的に見れば低い方だ再分配が適正に行われることこそ、経済における政府の最大の役割である。景気回復や経済成長などという寝言にはうんざりする。そんなものが経済政策で可能なら、誰も苦労はしない。

 

■経済学の未来

巷には俗流経済学者や、御用経済学者が大勢いる。政治の道具として利用される経済理論もある。しかし、マトモな経済学者も少なくない。マトモな経済学者とは、社会や歴史についての見識を前提に経済を考える学者のことだ。

そういうマトモな経済学者は、是非とも野心を持って新しい経済学、新しい経済システムを考えていただきたい。成功する確率は低いかもしれないが、成果を得る唯一の方法は一人でも多くの人が真剣に挑戦することだ。

そして、私たちもまた、嘘だらけの経済理論に騙されないように気をつける必要がある。さて、今日はこの辺で失礼します。