白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

崇高なる貧困に誇りを

転落を経験した1年でした。

2011年、腐敗した豊かさに居心地の悪さを感じた私は、27年勤めた一部上場企業を退職しました。フリーランスとして生きる予定でしたが、なかなか軌道に乗りませんでした。去年は最後の力を振り絞って「次世代文明の誕生」を出版。

しかし、直後の9月に事件があり強制入院。離婚。引っ越しの強要。借金の強要。盗難。廃業。行政による生活保護のすすめ。結局、生活保護にはならず自己破産をし、今は僅かな障害年金で暮らしています。家族にも恵まれた高額所得者から一転、孤独で貧しい障害者になりました。

背後にどのような力が働いたのか、働いていないのかは想像の域を出ません。慣れない貧困に陥ることが、正直、怖かったです。気が狂いそうな時期もありました。8月には自分が誰なのかが分らなくなりました。アイデンティティの崩壊です。解離性障害のようなものも経験しました。お金が底をつきました。1日3食が不可能になりました。1日2食になりました。貧困世界の孤独な障害者になりました。

そのことで、自尊感情は喪失し、セルフイメージは低下し、自己卑下を繰り返しました。しかし、それは意識レベルでの自傷行為だと気がつきました。そして、私自身が貧困と障害に偏見を持っているのだということを教えてくれました。

強制された引っ越しで、資産性のあるものはすべて売却しました。本もすべて売却しました。パソコンの予備もありません。仕事に行くだけの洋服すらありません。病院には行けても薬代がありません。しかし、貧困世界ではそれは普通のことなのです。

有名企業で良い給料を貰っていた時から、経団連のやり方や、社会の仕組みに疑問を持っていました。経済や福祉について勉強し、考え、論文やエッセイを発表していました。弱者の味方のつもりでしたが、自分が弱者になって初めて、それに抵抗する自分がいることに気がついたのです。

私はいま、賃労働という意味では働いていません。医者は就労を勧めますが、歪な障害者雇用制度の中で働こうという気持ちにはなれません。

社会は不公平であり腐敗しているとはいえ、その社会の恩恵を受けて私たちが生きていることも事実です。しかし、私は再び悪のシステムの中に戻りたいとは思わない。それが、昔のような勝ち組であれ、現在のような負け組であれ、同じことです。

私は現在の貧困に、また、貧困に至るプロセスに誇りを持つことにしました。

知能の低下と人格の劣化を嘆いた時期もありましたが、それは甘えであり、言い訳に過ぎないでしょう。

そんな訳で、私はこのブログを復活させようと思います。

ある人は、生活スキルを身につけろと言いますが、苦手なことはやるだけ無駄です。私に出来ることは書くことです。マスコミが死に絶え、ネットでも言論統制が進む今の日本の反知性主義化の風潮に抵抗すること。それが私の使命なのだと思います。

「次世代文明の誕生」は売れませんでした。ただ、その魂は受け継がれ、いつの日か次世代文明が到来することでしょう。人類の光明はそこにしかありません。誰もが、朽ちた文明の崩壊という惨事に巻き込まれることなく生き延びることを切に願います。