白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

ダダイズムからグダグダイズムへ

はて、文明の文法を解体せよとの指令を受けた訳だが、具体的に何をすれば良いのかが未だに分かっていない。ポストモダンは近代的な個人も国家も解体できなかった。結局は、哲学や文学あるいは社会学の内側での話であって、現実世界の文明の文法は揺らいではいないのだ。

 

つまり、私がこのブログでグダグダ書くことも、劣化コピー、縮小再生産と揶揄されかねない訳で、ブログを書く以外にやるべきことがあるように思えてくる。

 

例えば、劇団を旗揚げして日本中を遠征するとか、本当に政党を作り選挙で戦うとか、ダダイズムを模してグダグダイズム宣言を出すとかだ。そして、声明を出すのも良いかも知れない。しかし、どれも二番煎じだな。

 

いま、「七つのダダ宣言とその周辺」という本を再読しているのだが、要は「生きる」ということを問い直しているんだな。もう、世界という支離滅裂の中で、支離滅裂に生き抜こうということなんだな。だから、平凡な生き方を捨てて、グダグダに生きようということだな。これがグダグダイズムだな。

 

何て簡単なんだ。これならインテリでなくても分かるぞ。

 

就職。そうね、一度くらい就職するのも良いかもしれない。でもね、結構、やめられなくなるから気をつけないとね。やめられない理由は二つあって、一つが洗脳されるから。もう一つが楽だから。まあね、俺も一応、50迄サラリーマンやったからね。疲れたよ。スーツにネクタイは正装らしいが、街で見かけるたびに痛々しさを感じるね。今は毎日ジーンズだ。グダグダだぜ。

 

結婚。俺は2回失敗したからね。まあ、相手が自分より大切だと思えるなら、結婚しても良いかもしれない。愛だよ。昔は偉そうに、結婚とは50%の愛情と50%の打算から出来ていると語った記憶があるが、俺の場合は50%の誤算だった。まあ、俺の失敗談はどうでもいい。もっとも、離婚を失敗とは思ってないのだけれど。

 

つまらないな。ためになる話をしてくれよって。

 

そういう話なら「分裂勘違い君劇場」でも読めば良い。なに、もう読んだ。え、貴方が筆者。ためになる話ね。貴方が誰かも知れないのに、普遍的な話なんてできないよな。まあ、こんなブログを読むようだから、グダグダなのだろう。ならばグダグダを肯定して生きたらどうだろう。人生とは、グダグダだ。

 

選挙の分析をしてみたんだが、人口構造と年代別の投票率から言って、年配者は得をするように出来ている。老老格差は世代間格差よりも大きいと言うが、その年まで生きれば、それだけで十分のように思う。それが政治。それが民主主義。

 

私は一票に年齢別の係数をかけてはどうかと提案した。40代なら<0.5>、60代なら<0.2>というように平均余命を一票の重みに反映したらどうかと思ったのだが、あまり相手にされなかった。そりゃそうだ。前代未聞だからな。

 

それにしても、文明の文法を解体するというのは、どういうことかな。革命なら「お気楽革命」というのをやったのだが、どうやら歴史には記されないようだ。

 

思い出した。お気楽の原点は「自信」なんだ。グダグダに自信は必要なのか。また、自信論か。古いんだよ。自信なんて虚構なんだよ。誰も100%の自信なんて持っていないんだよ。自信なんて本当は誰も持っていないんだよ。

 

話がずれたな。文明の文法を解体するというのは、理論武装して新しいシステムを目指すことではないのだ。そうではなく、一人一人が文明の文法を放棄するという「運動」なのだ。

 

文明の文法を放棄するだって?

具体的に書くと流石にまずいだろ?

成功や幸福といった子供じみた目標を持たないこと。

生きることに意味や目的を持とうとしないこと。

そんな感じでグダグダ生きること。

 

そのための武器を提供することこそが、文明の文法を解体することではなかろうか。

意外にもいい感じでまとまったね。

これがグダグダイズムだ。