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遊びこそ仕事という哲学

1.最高の遊びは学問

最高の遊びは学問であると言われている。最高というのは楽しさにおいてである。探究、発見、創造、深さ、申し分ない。政治的御用学者は別物だし、学問は学者だけのものでもない。ブロガーだって学問的な人も少なくないし、それはきっと楽しい行為なのだ。

2.楽しくなければ仕事ではない

楽しくなければ仕事ではない。これが私のスタンスだ。仕事は遊びでなければならない。仕事と遊びを対立物として考える思考法に多くの人が洗脳されている。この文明の文法をまずは解体しよう。

3.産業社会の仕事は例外的である

仕事は遊びであると書いたが、業務としてシステム化され、ルーチン化されマニュアル化された仕事という奴がある。いや、現代の多くの雇用という形態の仕事は、こういう種類に属する。賃金や労働内容の差はあれ、これらの仕事は奴隷的だ。なお、奴隷的の反対語は自発的だ。当初から主張している通り、成長とか発展という馬鹿げた文明の文法は解体しよう。

4.人生はゲームだ

 人生とは日常の積み重ねである。充実した日常なら良いが、単調で苦しい日常にしがみつくというのは、いかがなものか。現代文明は産業の奴隷が欲しいので、それで満足せよという圧力をかけている。好きなことで生きるか、好きなことが何かも分からずに生きるか。その差は巨大だ。たとえ失敗しても、人生を楽しむには、人生というゲームに参加しなくてはいけない。勝ち負けではない。文明の文法による呪縛から解放されるのだ。

5.遊びは学問だけではない

アートだって遊びだ。瑞々しい魂であること。それが生きるということだ。存在しているだけで満たされていること。それが理想だ。スポーツでもゲームでも調理でも何でも、仕事=遊びは本質的にクリエイティブなのだ。

6.役割という問題

家族、組織、社会の中で個人は役割を担わされる。これは面倒だろうか。もし面倒なら、やめてしまってはどうだろうか。もしも、家族に愛情が持てないまま役割だけをこなしていたら、それは健康に良くない。憎むべき組織のために働くのも同様だ。社会というのは広い概念だな。まあ、人間、一人では生きられないと考えるか、一人でも生きられると考えるかだ。遊びはやらなくても良いが、仕事はやらないといけない。文明の文法は、こうした社会や家族制度を含むのだが、これは容易に解体できない。

7.人間の仕事は遊ぶことである

人間性が十全に発揮されるのは、遊んでいる時だ。人間に限らず動物は、楽しむために、遊ぶために生きているのであり、それが本来の仕事なのである。動物たちは、常に満たされている。それに、人間は癒されるのだ。遊ぶとは魂を楽しませることなのだ。さあ、魂を意識して生きよう。