白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

こころのゼロ地点

かなり不安があったが、今日は朝からすんなりと瞑想することが出来た。瞑想にもコンディションがある。今日は静かに心のゼロ地点に留まった。

瞑想は、喧騒の中で生きる人にはもちろん、私のように仕事をしていない人間にとっても意味がある。こころは煩悩で煮えくりかえっているのが常だ。毎日の心のメンテナンス、それが瞑想だ。

ただ、瞑想をやり過ぎると、馬鹿になったと感じたり、日常の出来事に素早く対応できなくなるということはある。医者は馬鹿にはならないと言うが、私は認知症が心配だ。弛緩だけでなく、緊張のトレーニングもするべきかもしれない。なお、瞑想には大きく4種類あって、集中する瞑想もある。今の無想の形が安定すれば、次は集中やイメージに進もうか。背後にある宗教は調べ出すと際限がない。私は真理を求めているのではない。ただ、実践するのみなのだ。

瞑想をはじめてから、2ケ月弱。自己変容が起きているようにも思う。これから、もっと大きな変化が起こる。そんな予感がある。

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