白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

瞑想は旅

瞑想を始めて2ケ月。昨日は心の平安を感じた。現状がクリアに見えてきたのだと思う。

 

瞑想や禅には、いろいろな流派や理論がある。対立もあるようだ。しかし、私はシンプルに無念無想を続けるだけ。そこで何が起こるかは人によって違う。言葉にすると解釈学になる。そういうものには、もう飽きている。くだらないなと思う。

 

何を信じようが、何を思おうが自由だと考えるようになった。高次の意識に挑む人は挑めば良い。私が霊の扉が開くのを待つのも自由なのだ。

 

私は宗教には興味がない。いや、宗教自体には興味があるが、布教に興味がない。宗教に興味があるのも、人は何を考えたかに興味があるだけで、信仰には結びつかない。

 

瞑想を続けること。それは長く続く旅。日々の瞑想の中にも変化はある。瞑想は経験技術だ。慣れれば、屋外にいても瞬時に瞑想状態になれる。空(くう)と言っても良いかもしれない。

 

「私は瞑想家です」

「はい、私も瞑想家です」

 

そんな時代が来るかもしれない。