白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

人生の意味や目的や使命は虚妄か?

トランスパーソナル心理学という世界がある。諸派、諸説があるが発祥はユングだ。普遍的無意識。この概念に夢中になる人が増え、1960年代の人間性回復運動で大いに発展した。

宇宙の意思と繋がるだって。宇宙の意思って何よ。量子力学。わからない。それって、危ないスピリチュアルじゃないの。似非科学。いろいろな批判がある。

ただ、意思とは何かの定義はさておき、私は宇宙の意思はあると考える。ただ、問題はそこからだ。

人間は生きる意味や目的を持たなければいけないとか、人にはそれぞれ使命があると語られると、いきなり世俗に突き落とされたような絶望を感じる。生きることに意味などいらない。人生の目的など、有る人もいれば無い人もいる。人それぞれだ。使命に至っては超越的だ。自らの使命を確信するというのは超越者であることの証左だ。

私がトランスパーソナル心理学に批判的なのは、それを成功哲学自己啓発と結びつけてビジネスにしようとしている場合が多いからだ。すべての研究を否定しているわけではない。私は、成功哲学自己啓発が嫌いなのだ。胡散臭くて仕方ないのだ。

いま、どういう本を読んでいるのかは書かない。10パーセントは意義のある本だ。私は、その10%を掬い上げる。そして今日も無念無想の瞑想をし、意識の波動を宇宙の意思の波動に合わせて行く。私は宇宙のエネルギーを利用するのだ。おいおい、スピってるな。ま、良いか。

禅にもいろいろな流派があり、瞑想で得られるのはただの健常な意識だという説と、より高次の意識が得られるのだという説がある。意識を科学的に定義できていないのに、こんな論争は言葉の遊びでしかないだろう。

生きるとは楽しむことだ。人生に意味や目的はいらない。使命などあると疲れてしまう。そういうのが好きな人は、使命を確信して、目的に向って、意味のある活動をすれば良い。無理やり使命を見つけるというのは滑稽だ。生きること、使命はそれだけで十分なのではあるまいか。