白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

解脱と愛欲

質問をいただきました。

>suganokeiさん「解脱さえしてしまえば、あとは「愛」に溺れるのも、あるいは捨てるのも自由自在でしょうか。」(2016/11/16)

私は無宗教ですし、宗教学者でもありません。ただの一人の瞑想家です。愛に溺れるというのは、憧れなのでしょうか。堕落なのでしょうか。

ヒンドゥー教的には、愛欲は人生の四大要素の一つですので、大いに称賛されることでしょう。仏教的には解脱とは愛欲を捨てることなので、解脱して愛に溺れるというのは矛盾になります。解脱していなかったと言われてしまうでしょう。

しかし、仏教もいろいろですから答は一つではないと思います。

私の瞑想の理論のフレームはシンプルです。

1.寛ぎの瞑想を毎日行う。

2.意識の次元が変わる。(便宜的に解脱あるいは真我の目覚めと呼ぶ)

3.寛ぎの瞑想を続ける。

これだけでも詳細に検討すれば一冊の本になるでしょう。

なお、解脱は免罪符ではありません。念の為。