白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

修行環境のちがい

パソコンが帰って来た。

マハルシにつていて考えている。真我はよくわかる。自己という虚構の想念を捨て、一つの想念で安定させること。これが理想なのか。

しかし、前にも書いたが低次の部分もおろそかにしてはいけないのだろう。昔は貧困でも食べて行けたが、20世紀という人類史上最悪の飢餓と貧困の世紀の中では、お金を無視することなど不可能だ。

マハルシの時代とは違うのだ。マズローの欲求6段階説も低次から高次へというモデルであり、一見、瞑想とは関係ないようでも、重要なポイントのように思えてきた。

つまり、凡人が悟るには、ある程度の経済的成功が必要になるということだ。

経済的に不安であっては、瞑想どころではない。そういう世の中なのではなかろうか。

グルは、私のこの見解に何と言うだろうか。大いに楽しみだ。