白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

ポップでカジュアルな瞑想にしよう

ネット上で某氏より、しきりに「自己観察」を勧められている。しかし、今一つ気が進まない。観念を強固にするだけで、真我から遠ざかるように思えるのだ。

 

真我。これもまた分からない。これは自分ではないという否定を繰り返し、最後に残った自分が真我だという。もちろん、身体は自分ではない。私の目指す瞑想とは、少し違う気がする。

 

もっと、ポップでカジュアルな瞑想で良いのだ。日課として、アルファ波を出せば良いのだ。瞑想で世界が変わると大袈裟に考えすぎていた。宇宙の意思? 量子? そんなものはどうでも良い。

 

無我・無想の瞑想は、今も毎日チャレンジしているが、去年のように上手くはいかない。それでも、脳内にアルファ波がばらまかれた感覚を得ることはある。継続は力なり。何かを求めるのではなく、ただ瞑想の時間を楽しもう。求めてはいけない。

 

おかしいな。涅槃を生きているのでは無かったのか。ご勘弁を。