白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

障害者世界とは何か

 今、障害者世界をテーマにした小説を書いている。私自身、5年前に障害者になり、障害者の世界を知り、正直、驚いた。日本の福祉の手厚さに感嘆した。

 それにしても、障害者世界という言葉はいったい何を意味するのか。日本の障害者700万人が仲間意識を持っている訳ではない。そうではなく、障害者には独自の制度やサービスがあるということだ。

 言い方は汚いが、障害者は概ね貧困である。今は貧困でなくても次第に貧困になる。つまり、障害者は病気に苦しみ、貧困に苦しむ。それをサポートするのが福祉である。

 障害者の一番の苦しみ。それは退屈ではないだろうか。一般世界から疎外され、お金もなければやることもない。この状況は不安とも共通する。先など見えるはずもないのが障害者だ。それなのに、馬鹿メディアは頑張っている障害者を美化し、働くことが素晴らしいと主張する。行政もその方向で、就労支援にお金をばらまく。そして、そのお金の多くは障害者へではなく、社会福祉法人などの懐に入る。

 私が精神障害者になって一番に驚いたのは、家事支援でヘルパーが入ったことだ。もちろん無料である。二番目に驚いたのが地域生活支援センターという障害者のサロンのようなものの存在だ。ほぼ無料で利用できる居場所、喫茶店のようなものだ。三番目に驚いたのが訪問看護だ。週2回看護師が1時間自宅にきて話をする。まあ、それだけ私が重症なのだが、自立支援制度があるからお金がかからないのであって、実費なら月額10万円を超えるだろう。

 就労継続支援B型、A型も知ったが、筋悪の障害者ビジネスだなと思った。事業所によって玉石混交なのは明白なのだが、業界では、「合う合わないがありますから」という常套句が使われる。

 私の小説では、安価な労働力を大量生産する目的で、精神障害の範囲を広げ、有能な障害者をどんどん作ろうという政策を政府が内密に行うというものだ。そこに複雑な利権がからむ。障害者はピンクのICカードを持ち、健常者はブルーのICカードを持つ。障害者は一般世界から分離される。しかし、その中で障害者が幸福をつかみ、健常者が苦しむという絵を描こうというのは傲慢だろうか。顰蹙だろうか。障害者は健常者に感謝しなければいけないのだろうか。

 私は27年のサラリーマン生活で、すっかりビジネスの世界の価値観に染まっていた。自分は世界を見ていると思っていた。しかし、障害者世界のことなど、まるで知らなかった。今も私の中には「優劣」という語彙がある。優が健常者で、劣が障害者なわけがない。いや、そういう思考をしてはいけない。私はまだ、障害者世界の価値観を知らないのかもしれない。

 障害者世界とは何なのか。まだ、探索の途中なのだ。