白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

人間とは何か

(初出:2014年03月12日。お気楽サバイバー研究所)

「人間らしさとは何か?」という正解のない問いが私の中で大きくなる。優しさや思いやりなら動物にもある。近代以降の人間ならば、個人という概念で権利や尊厳について語るかもしれない。幸福の追求は当然のこととされているが、ひたすら前へと懸命に走る現代社会は節度を失っているように思う。

人は個人という社会的存在であるより前に、地球上の自然、地球上の生命のつながりと循環の中でのみ生きることのできる命だということを忘れてはいけない。進化する生態系の中で、一つの命として生まれ、動植物を食べて生きている。人間もまた、雄大で神秘的な生命の営みの中で生きる生物の一種であり一員であるということ。現代文明は人間が生命を超えているかのように錯覚している。あるいは、生命を超えることを目標としている。これは大きな間違いだ。


科学技術の飛躍的な発展は、人間の生活様式を全面的に変化させた。新しいものを開発し、社会を進歩させることも人間らしさの一つなのだろうう。そして、権力の所在も形態も変わった。人間観も大きく変わった。現在の権力が、資本なのか、国家なのか、メディアなのかは議論の尽きないところだろうが、最近の権力は人間ではなく、道具あるいはシステムへとシフトしているように感じられる。インターネットやSNSを含めて、高度にシステム化されたは社会空間ができたことで権力の主体が人間からシステムに変わって行く。SF小説にありがちなモチーフだが、それが現実化していると感じるのは私だけではない。

人間の夢は、自らを機械化することなのだろうか。人間の価値とは、自らの能力あるいは社会における機能で評価されるよなものなのだろうか。それは支配者が押しつけてきた価値観でしかないのだが、メディアによって洗脳された多くの一般人は、自己を熱心に道具化し、仕事をしていると胸を張る。

仕事を否定するつもりはない。ただ、人間は個人であるより前に、一つの生物として地球の生態系の中で生きている「命」だということを基本的な感覚として持っていることが重要だ。現代文明は、自然を解明し、自然を管理できるという妄想に取りつかれている。そこには謙虚さも無ければ、節度もない。

誰が良くて、誰が悪いということではない。不毛な戦いも議論もいらない。ただ、一人一人が、人間が地球の生態系によってのみ生きることのできる生物であるということを自覚することが重要なのだ。現代人は、人間であるという命の感覚を失いつつあるのだ。

一つの命は、独立して生きているのではない。都市で生活していると、この当たり前の感覚が麻痺してくる。繁栄の熱狂に酔いしれてはいけない。難しいことではない。いま一度、人間とは何かを静かに考えることだ。節度のない熱狂は、文明の破壊を早めるだけで終わるだろう。一人の力では、何もすることができない。ただ、自らが「人間とは何か」に思い出すこと。その思いだけが、現代の大きな危機への唯一の対応だと私は信じている。