白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

生きているという質感の回復

生きているという質感。それは質感を失って初めて気が付くものだ。私は発病から20年になるが、生きているという質感を失ったのは、2011年の冬のことだ。

突然、心がエアポケットに入った。それから、質感を味わえなくなった。感情の平板化とでも言うのだろうか。何も感じなくなってしまった。その状態は、2ケ月ほど続いた。

その時から、何かが違う世界を生きてきた。生きるとは、個として生きることではない。全体の一部として繋がりを生きることだ。私には、生きているという質感が欠けていた。どこか宙に浮いていた。大いなる転落の経験。精神障害者であるというアイデンティティ。社会の外側にいるという気分。これは、私ではない。そう思いながら生きてきたように思う。

それが今日、何もないのに、生きているという質感の回復を感じた。ようやく底辺に着地できたのかもしれないし、一時的な錯覚かもしれない。

いずれにしても、今、私は生きている。そう感じられる自分がいる。これは、いちばん大切なことではないだろうか。

失ってはじめてわかること。残されたもの。思い出に縛られるのは、もうやめよう。きっと新しい世界が見えてくる。そんな予感。