白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

今、なぜ将棋なのか?

空前の将棋ブームである。

大山時代、中原時代、谷川時代、羽生時代、渡辺時代ときて、今は若手による乱世だ。

私も覚えられないので、現在のタイトル保持者を書いておこう。

竜王 広瀬章人

名人 豊島将之

叡王 永瀬拓矢

王位 木村一基

王座 永瀬拓矢

棋王 渡辺明

大阪王将王将戦 渡辺明

ヒューリック杯棋聖戦 渡辺明

朝日杯将棋オープン戦 藤井聡太

銀河戦 豊島将之

NHK杯 羽生善治

将棋日本シリーズ 渡辺明

新人王戦 藤井聡太

加古川清流戦 大橋貴洸

YAMADA杯 チャレンジ戦 

日本将棋連盟ホームページより

https://www.shogi.or.jp

 

私は平成二十一年十一月一日付けで四段の免状を取得している。

会長、米長邦夫。竜王渡辺明。名人羽生善治

3名の直筆の署名がある。お値打ちものだ。

 

将棋のブログも書いていた。

「将棋のブログ」

https://blogs.yahoo.co.jp/mensonge_9

こんなエントリーもある。もう6年前だ。

サトシンはなぜ負けたのか 2013/4/4(木) 午後 2:47

2013年3月30日。第2回電王戦第2局で、プロ棋士佐藤慎一五段がコンピュータソフトponanazaに負けた。プロ棋士とコンピュータの公式対局で初めてプロが敗れた日。このニュースは速報でNHKや各ネットでも報道され、大いに話題になった。

普通に考えて、今のコンピュータの性能があれば、ソフト開発に資源を投入さえすれば人間がコンピュータに負けるのは当然だ。ただ、今までは対戦の機会があまりに少なかった。プロ棋士の側が逃げていたという批判の声もある。その意味では、今年の5番勝負というのは画期的であり、大いに注目を集めた。ニコ生での公開対局。その視聴者は累計で40万人を超えた。

将棋は序盤からponanazaが趣向を凝らし、見慣れない相居飛車の戦いになった。局後の詳細な検討結果は、おそらく来週発売の週刊将棋に掲載されるだろう。なお、今もネット上にはいくつかの観戦記が存在している。

私はこの試合を最初から観戦していた。ここに棋譜は載せないが、アマチュアの個人的な感想を列挙しておく。

1.佐藤五段の3九角では、解説陣が指摘していた75歩が勝ったと思う。
2.プロは7三桂に対する8七金を悪手と言っていたが、私の第一感も8七金だった。
3.佐藤五段の4八馬は大いに意外だった。5八金の後に3八馬。この瞬間の馬の働きがおかしい。
4.8三角に対する8二飛も意外だった。方針が定まっていないように感じた。7四角成に5四飛と打つのなら、単に5三飛で良かったのではないのか。
5.7四角成の局面でも、後手有利だったと思う。6四歩とか、その後で3七馬とか、辛い勝ち方が有力だったのではないだろうか。

まあ、アマチュアがプロの将棋を批評するというのは一種の倒錯だ。でも、それをするのがアマチュアの楽しみ方であり、「遠慮はいらない」と渡辺竜王も語っている。不愉快に感じる人もいるだろうが、それを言っていては何も書けない。

結果として、サトシンは負けた。多分、逆転負けだ。そして、彼はブログに敗戦の弁を書き、そこには700件を超えるコメントがついた。ある意味でブログが荒れた。労いが3割、心無い批判が7割。数えたわけではないが、そんな感じだった。

彼は「申し訳ない」(3/31)というエントリーの翌日に「本当の悔しさ」(4/1)を書いている。私が注目したいのは、ここで書かれている内容についてだ。勝負は時の運だろう。しかし、この文章の中に、私はいくつかの敗因を見たような気がした。

【敗因-1】
ponanzaと戦うにも関わらず、ツツカナで準備せざるを得ない状況だったこと。
ソフト別の棋風や特性をあまり考慮していなかったのではないのか。

【敗因-2】
コンピュータとの終盤のねじり合いに、人間同士の戦いとは違う興奮を覚えたこと。
単に勝てば良いのに、勝負を楽しもうとしてしまったように思われる。

【敗因-3】
敗因ー2の続きになるのだが、彼は投了する瞬間「もっと指したかった」と思ったという。
これは、コンピュータとの終盤のねじり合いで勝ちたいという「勝ち方へのこだわり」ではなかったのか。
この勝ち方へのこだわりが一番の敗因だったと思えてならない。

コンピュータと練習を繰り返すうちに、サトシンは得体の知れない魔界に引き込まれた。
私にはそう思えてならない。

まだ2試合しか見ていないが、コンピュタにも弱点はあるようだ。評価の難しい序盤。第1戦ではここでプロ棋士が大きくポイントを稼いで圧勝した。そして、自らが不利になった時の指し手の選択。人間はどうすれば間違えやすいか、などというロジックはコンピュータにはまだ無いのだと思う。

多くの将棋ファンは未だにプロ神話を大切にしたいようだが、私はまったく違った考えを持っている。

コンピュータのソフトを作っているのも人間だ。結局、コンピュータという道具を使うか使わないかというだけで、将棋はどこまで行っても人間と人間の戦いなのだ。数学的に見て必勝法が発見される日は、まだまだ遠い。見方を変えれば、このコンピュータ対プロ棋士の将棋というのは異種格闘技ではないだろうか。そして、いま、この時だけが、この異種格闘技の最も面白い時代なのではないのか。

あと3戦。私はコンピュータを応援する。泣くなサトシン。すぐに仲間ができるよ。

そして、私の予言通りになった。

今は強くなるにはAI(人口知能)は必須だと言われている。

私はリアルでは十三棋道館道場にしか行かない。チェスクロックが絶対で、降級まである。「時計の無い将棋は将棋ではない」が私の持論だ。詰んでいても投げない人が実際にいるのだ。笑

ネットでは、81DOJOしかやらない。特に外国の人との対戦が楽しい。英語バージョンがあり、英語でのコミュニケーションが楽しいのだ。

しかし、最近はレートを上げることだけを考えて、自分より弱い相手を選んで指す馬鹿が多い。実に悲しいことだ。

「棋は対話」と語ったのは内藤國雄九段(引退)だ。私は「図式百番」という本を持っている。

「黒崎さん 伸び伸び しみじみ 平成二十四年一月 内藤國雄」

宝物である。もちろん墓場まで持って行く。