日常の要因分析
日常が苦しい。日常が悲しい。日常が虚しい。それは何故か。何のあても無いのだが、要因分析をしてみたい。
朝、訪問看護師のインターフォンで目が覚めた。疲れている。朝の薬を飲む。
地活に行った。講演会の没原稿を見せた。慎ましくなくても良いんじゃないですか、と言われた。精神障害者世界というカテゴライズは私独自らしい。しかし、その居心地、ある種の息苦しさは普遍的なものだと思う。それとも私が、何かと比較しているのか。
苦しい。変化がない。夕食は3ケ月連続で牛丼だ。悲しい。彼女がいない。目標がない。お金がない。行きたいところに行けない。会いたい人に会えない。
ああ、愚痴だな。要因分析にならない。
やはり生活設計から整えないとダメか。それ以前に病状もあるな。ニワトリと卵か。
だから俺は日常に向かないんだ。ぶっと飛んだ計画に突っ走るしかないのさ。「次世代文明の文法」とか。賃金なき雇用の時代とか。イヤかな。(笑)
久しぶりに風呂に入るか。久しぶりかよ。それが日常。