白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

文化の冬の時代に

昭和は、いや日本古来の性に鷹揚な文化は遠い昔のことになってしまった。

「結婚していますか」と聞くことが、セクハラとされたり、個人情報ですのでお答できません、という話になる。これでは、マトモな会話は成立しない。

プライバシーという概念の背後にある、表と裏すらも消えてしまった。平成。本当に文化の冬の時代だったと思う。そして、それが政治的に作られたものであった、とも。

本音と建前というのは西欧のスタイルである。明治時代に個人主義を輸入した時、日本人の性来の国民性は否定されてしまったのだ。それが究極の浅薄さに至ったのが平成ではなかったか。

昭和36年生まれの私は、男女が二人でカラオケに行けばOKのサインだと理解していたし、ましてや男の部屋に一人で来るとなると、それは当然のことであり、むしろ何もしないのは失礼だと思っていた。

それが今ではどうだ。俺はただのセクハラおやじ扱いだ。

ふん。まあ、よくわかったよ。セフレが欲しいなどという下劣とされることは言わないでおこう。まずは、カラオケ友達から、徐々に愛を育てるのが定番だそうなので、それに従おう。

しかし、これは従順なのではない。平成という文化なき時代への軽蔑の賜物なのだ。訳のわからないグローバルスタンダードを真に受ける国民。多分、教育のそして政治の失敗だろう。ただし、為政者はそれを成功と考えていることだろう。

まあ、待とう。世界の現実が明らかになれば、国民も目覚めるだろう。良いよ。俺は社会の外部で。深い軽蔑を持って、従順に生きるから。

戦略とは何か

戦略とは何か。それは、勝てる土俵で戦うこと。未練のある領域を断腸の思いで切り捨てること。三谷宏治氏は、そう書いていた。

思えば、いままでの私は中途半端だった。

次世代文明全般の研究、貧困と障害の当事者研究コンサルティング、セラピスト、タロット占い師、ビジネスコーチ、バックギャモン・プレイヤー、作家、詩人、書道家、エッセイスト、などなど。

そして昨日、決めた。

仕事にするのは、将棋教室の師範と、知識人としての文筆、出版に絞ろうと。

タロットなら上がいる。バックギャモンも何もかも、体力的に無理だ。余技にとどめておこう。

昨日は、京都の鬼才、M女史と久しぶりに電話で話をした。次の日曜日に京都で会うことになった。

私は今日は、11時から交渉事がある。オックスフォード流の交渉術で、双方の満足を目指す。

中くらいの勝利で満足するものは、常に勝者でいられると言ったのは、誰だったか。

アルコールを断って2ケ月。レキサルティを入れて3ケ月。躁のスイッチが入ったのが、3月14日。躁状態は、昨日でプッツリと終わった。

BE KOBE

私は神戸に生まれ、東京に20年。そして、神戸に戻って来た。神戸は広い。徹底して私は神戸から出ない構えだ。それは、不安感情の強い今の私の安全策。芦屋はどうか。西宮はどうか。明石はどうか。淡路はどうか。三田は。宝塚は。

まだ、不安感が強いようだ。

そうそう、将棋教室をやる話は進んでおり、すでに四段の免状は代表が車で運んでくれた。4月中に、あの口座で売上を立てる。そして、あの口座は、事業専用だということを認めてもらう。ノーベル3賞、同時受賞などという誇大妄想は消す。無駄な戦いはしない。

豊かさから快適さへ、という次世代文明のラフカットを描いたという誇大妄想的満足感は許す。しかし、まだまだこれからだ。

量子力学の世界を知るのではなく、三次元の世界を疎かにしないこと。すべては繋がっているということ。さあ、まだ、「白井京月エッセイ集」のキックオフは出来ていない。準備が大事なのだ。プロジェクト・コードやインセンティブは決定的に重要なのだ。プロジェクト・チームでは、ワンネスが出来ていなければならない。

その打ち合わせも、今日ある。スタートは令和を待とう。「R」そういう言語分析のソフトがマーケティングでは重宝しているらしい。アンチ・マーケティングを実践するのに、マーケティングは必要ない。RIRIKU(離陸)。私たちはすでに、20世紀という最後の資本主義文明から離陸しようとしている。その痛みや、災難を最小限にすることが私の知識人としての使命なのだ。

ミッションは明確だ。では、報酬は何だろう。それは公開しない方が良い。

因みに、私が発病で手放した、最後のプロジェクトのコードは、GION、だった。プロジェクトが完了したら、メンバー全員で祇園に行こうというものだ。AAVAというプロジェクト・コードはヤバかった。多くの誤解を招いたからだ。まあ、これは今日以降、KH氏と考える。

ゆっくりと進め。

♪ 今日は私の断酒記念日です。

♪ 今日は私の断酒記念日です。

そんな歌があった気がする。あ、あれは失恋記念日か。

2月4日に、シアナマイド(抗酒剤)を飲もうと覚悟を決めてから、一滴もアルコールを入れていない。(ノン・アルコールは入れている)これは、医師の力、薬剤師の力、訪問看護師の力もあるが、俺の意志も大きい。

だから、毎月4日は、断酒記念日。

あれ、それに似た、句もあったな。

ここに至る経緯は以前からの読者の方なら分かっていることなので省略する。

アサハイ(朝からハイボール)が習慣化していたこともある。

昨夏に友人がハイボールを奢ってくれるようになり、がぶ飲み状態になった。

昨年の10月、この状態を精神科の主治医に報告した。

昨年の12月、アルコール依存の第2段階と言われ、シアナマイドが処方された。

シアナマイドの怖さも知らず、朝シアナマイドを飲んでいるのに、夕方なら良いだろうとハイボールを飲み、呼吸困難になって救急車を呼んだこともある。

紆余曲折があったのだ。

しまった。もう、4月5日になってしまった。

昨日は友人との宴。友人はアルコール、私はノンアルコール。もちろん友人の奢りだ。

自分に報酬を与えるのは、重要なことだ。

さあ、断酒記念日の報酬は何だっただろう。バナナだ。毎月4日はバナナの日にしょう。栄養もあるし、滑って転倒骨折などしないようにという戒めにもなる。何より、安上がりだ。次は5月4日の土曜日。令和元年になっている。昨年のような無一文を異常とも思わない以上な時代が底だったのだ。得意のリバウンドを利用して、ジャンプアップする作戦だ。上手くやろうぜ。流れは変わった。

令和に思ふ

4月1日、エイプリルフールのこの日に、新元号が発表された。

令和。

Rで始まる「令」は新鮮な好感触だが「和」は戦争を挟んだ異常な時代、「昭和」を連想する。色で言えば強い黄色と青。音は感触が良いが、色彩的な感触が悪い。

まあ、有識者が決めたことだ。私が何を言おうがどうにもならない。

ただ、私は日本の歴史が好きだ。万葉集も世界的に関心をもたれている日本文学の古典だし、元号を飾りのように論じた、日本のリベラルには愛想が尽きた。

とは言え、日本会議を支持する訳でもない。

私は政党政治とは一線を画し、知識人としての自覚を持って発言するだけだ。

告白しよう。私は品行方正の仮面を被った、品性下劣な変態だ。痛いのは嫌いだが、ドMなのは間違いない。

何を隠そう、数日前から男性機能が復活してしまった。しかし、昔のようにDH(デリバリーヘルス)を呼ぶお金もない。求めているのはステディなセフレ(セックス・フレンド)なのだ。巨乳より貧乳が好きだ。私は58歳のバツ2(離婚2回)で、今年24歳になる子供がいるが、東京にいる心の彼女RIPPは、それよりも若い。ここは、ルックスと浮浪者的異臭を改善して、お金のかから彼女を作るしかない。年齢は50代までOK。ただし変態で、喫煙者が希望。別居も条件の一つだ。

そういえば昔、躁状態の時に、元妻、Yに「悪い、俺には家族より人類の方が大切なんだ」と寝言ないし妄言を吐いた記憶がある。

今は3冊目の出版を計画しているが、一番大事なのは生活の安定であり、その基底は性生活にあるのではないかと、ふと今、思った。

閑話休題

構成の歴史家は「令和景気」と呼び、令和2年の2020年は、世界史に名を残す、次世代文明の起点となるかもしれない。

それは、悲喜こもごもではあるだろうが、進歩と成長の世紀の終焉を意味する。21世紀は人間らしさの世紀にしなければならない。人間らしさについては、バートランド・ラッセルやイヴァン・イリイチの文献が参考になる筈だ。特に、ラッセルの「怠惰への賛歌」はネットでも読めるし、必読だ。賃労働は、1日4時間以下でないとおかしいのだ。これは石器時代からの生態人類学を構想した、マーヴィン・ハリスとも通底する。

学問とは、そういうものなのだ。

人類の起源が宇宙人なのだから、バシャール人からの「わくわく」することだけをしなさいというメッセージに耳を傾けるべきではないのだろうか。

「豊かさから、快適さへ、軽やかに跳躍せよ」と、私は言った。