白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

自我の瓦解

3日ほど前から、不穏な状態が続いている。寝ようと横になると、無意識に「ワンワンワン」と吠える。そして、起き上がって、「ウィーン」だとか「キャイーン」だとかうめく。そんな状態が20分以上続く。そこに自我は無い。とても怖い。今日もそうなった。

K氏に電話をしたら、外に出て気分転換しろと言われた。

同病のM氏にも電話した。酒が良いと言われた。とにかく外に出て買い物でもしろと言われた。有難いアドバイスだ。

それにしても、これが一時的な現象なら良いのだが、統合失調で言う、破瓜型なら怖い。いや、今も十分怖いのだが、平常でいる時間の方が長い。逆転は嫌だ。

体感的に、脳の自我が不安定な気がする。今は、かなり悪い状態だ。

精神科医療など症状を追いかけているだけで、何もわかってはいない。

消えられるものなら消えたい。私という残骸を生かすために、社会や、福祉は、必死だ。感謝しないといけないのだろう。何度も、死の淵にいたのだ。

変わる病相。翻弄される私。もう、奇跡を待つしかない。

ファンクラブの、その後

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5月にスタートした、白井京月ファンクラブ。いっこうに読者が増えない。内容は自分で言うのもなんだが面白い。ただ、1ケ月1100円は高い。それに、クレジットカードを使う必要がある。これもハードルが高い。

毎週、日曜日発行だ。土曜日は忙しい。まるで、仕事をしているようだ。あ、しいているのか。

とにかく宣伝が足りない。リーチがない。何しろ俺は生活保護だ。お金がないのだ。

脱出。いつになるのだろう。メルマガ次第だ。笑。

明日は女性に会う。そのために理容室で顔を剃った。とんでもない出費だ。

さらに、すき家で、牛丼ミニと納豆と卵を食べた。とんでもない出費だ。

なに、明日会う女性は誰かって? 

ガイドヘルパーさんだ。30代らしい。しかし、精神障害者に女性のガイドで良いのか? 裏があるのか。よくわからない。

もう、ハイボールを飲んでいる。まだ、14時前だ。小説がすらすら書けないようでは作家ではないなと思った。もう、人生は終ったんだ。コロナの研究でもしていれば良いんだ。予防的対策はお金がかかり、社会が混乱するだけ。ああ、何か美味しいものが食べたいな。鱧。

コロナ時代

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t-k

世界中がコロナでひっくり返っている。軽症率80%のウイルスに翻弄されている。政治も経済も大混乱だ。これで自民党政権は安泰。10万円の定額給付金が効いたね。

問題は東京だ。すっかり悪者にされてしまった。繁華街封鎖だって。ネズミ1匹つかまるのに戦車部隊をだしている感じだ。この違和感。コロナ問題全般に言える。WHOという権威の思惑。それが見え隠れする。

コロナ騒動は終わらない。5年は続くだろう。東京オリンピック。あるわけがない。

長期戦なのだ。角度を変えてみると、東京の時代の終焉なのかもしれない。

勝手なことを書いたが、東京オリンピックはあるかもしれない。IOCとWHOの力関係だろう。まあ、ビルダーバーグ会議で決まるのだろう。

収束はあるのだろうか。ワクチンが出来て接種を義務づけられるのだろうか。亡霊のようなもの。現代の科学が亡霊に右往左往しているさまは滑稽だ。しかし、笑ったら怒られる。みんな真面目なのだ。

真面目な馬鹿ほどたちの悪いものはない。

死を受け入れて生きる

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人は、いつか死ぬ。そんなことは小学生でも知っている。しかし、若い頃は死を意識しない。当たり前に日常があり、熱狂がある、喜びがあり、悲しみがある。そこには、明日があるという前提がある。

シニアになると、死を意識する。死にたくないと思う。長寿を目指す人も多い。いや、大半の人が長寿を目指す。

ピンコロという嫌な言葉もある。死の直前までピンピン生きて、コロッと死にたいというのだ。虫の良い話だと思う。病気などで苦しんで生きている人たちへの想像力に欠けている。思いやりがない。

私は、余命1年を宣告され、戸惑った。この世に何かを残したいと思った。文学か、経済学か。それとも、放蕩か。いつ死ぬかは分からない。しかし、ふと、いつ死んでも後悔はないという心境に達した。

現世。あの世があるのかどうか知らないが、火葬は良くない。風葬が良い。狼や虫たちに食われるのが良い。

人に寿命があるように、人類にも絶滅の時が来る。宇宙に終わりはあるのかどうか。

死を受け入れるということ。それは、自我に執着しないということだ。不自然な欲望から解放されるということだ。自然体。それは苦しみからの解放でもある。