白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

晩年を意識したとき

朝、コンビニの帰り、家の鍵をあけようとしたとき、腰が曲がっているのに気が付いた。老いたな。もう老人だな。壮年ではないな。そんなことを思った。

コロナ。インフルエンザより怖くないコロナ。それで、皆マスクをし、社会がパニックを起こしている。これは何かの陰謀ではないのか。何のために。WHO利権。それしか考えられない。

老いたな。夢がなくなった。老いには老いの生き方があるように思う。それがまだ分からない。

良い生活って何だろう。朝からハイボールでグダグダは良くないのか。客観的に言えば廃人だな。しかしだな。毎日、地活に行くのが良いのか。甚だ疑問だ。社会通念上は良いのかもしれないが、私は嫌だよ。

文章に脈略がないのは、酔っぱらっているからだ。9時から飲んでいる。遺憾だ。明日から改めよう。

パソコン復旧

昨日、パソコンが復旧した。それで。将棋。未来に意気消沈しているのだ。今日もハイボールの嵐。そして、土日のお金がない。最低な野郎だ。それで、目標はノーベル賞。笑える。いや、狂っている。余命は1年なのだ。

「知識人のための36章」を本にしたい。ベストセラーになって、世界各国に翻訳され、絶賛される。夢だな。

今日は飲み過ぎたようだ。そろそろ寝よう。おやすみなさい。

一般社会と障害者

深夜に、スマホから書いている。
はて、一般社会とは、何なのか。身体障害者とは、精神障害者とは、何なのか。
社会復帰とか、社会参加という、おかしな言葉がある。社会にいなかったとしたら、刑務所にでもいたのだろうか。
社会という言葉は、多くの場合、一般社会という意味で使われる。そして、一般社会とは、標準的な人で構成された、プラスチックな世界のことだ。
一般社会にいないのが、障害者だとしたら。障外者という表記に変えてはどうだろうか。
今の日本は。障害者を一般社会に向かわせようと、努力を強要する。これが、根本的な誤りなのだ。
変わらなければいけないのは、障害者ではなく、一般社会だ。社会を治療するのは、誰だ。

パソコンが壊れた結果、得たもの

おひさしぶりです。パソコンが壊れたのが10月末。もう、1ケ月近くになりした。

パソコンを買うお金もなく、というよりもコロナの影響でパソコンが高くなっていることも知らず、未だ入手の目途が立っていません。

以降、スマホでブログや公式サイトのメンテをしましたが、かなりキツイです。ノートパソコンは私の身体の一部なのです。

しかし、メリットもありました。スマホでwebを見るとこうなるのかという驚き。

私のネットワーク構成は、普通のスマホ、データ通信用の別番号のスマホ、ノートパソコンでした。

危機管理の重要性を痛感しました。

このブログも、スマホでは、1週間以上更新しなかったためか、広告が入っています。

その昔、会社員時代、生産性本部のOR研修でに唐津一先生の言葉は印象に残っています。

「すべての行動は実験である。だのになぜ、データを取らないのか?」

私は思いました。

「面倒くさいから」

冗談です。これから、飲酒と喫煙のデータを取る予定です。もちろん私自身の。