白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

大転換

大転換だ。私の中から、精神障害者意識が消えた。就労継続支援B型だ、地域活動支援センターだ。私の行く所ではないでしょ。俺は、騙されていたんだ。障害者世界で生きるしかないとね。

そこは、私が生きる場所ではなかった。確かに俺は精神障害者だ。しかし、もう概ね回復している。

障害者として、利用できるところだけ、利用しよう。たとえば家事支援、移動支援、訪問看護

うむ、プレドニンの影響かもしれない。ステロイドを点滴したからかもしれない。若干の多幸感がある。知能は回復していない。新しい生活は想像もつかない。しかし、縛られるのはもちろん、縛るのもよくない。

面白くないことはやるな。バシャールの教えだ。今の私は、それをできる環境にある。ただ、お金はないが。

急激な自我の変容。何が起きたんだ。これから、何が起きるんだ。

精神疾患日誌もやめようかと思う。ブログは、はてなで十分だ。

確実に何かが変わった。

後悔・障害年金の代償

転落した。第一のきっかけが単身赴任(パワハラ)と発病。第二のきっかけが退職。第三のきっかけが障害年金障害者手帳の取得。第四のきっかけが離婚。そう、きっかけぐらいは私が作ってあげる。今の悩みは精神障害者意識から離れられないこと。もう、一般世界にはいないのだと思う。錯覚。最初は冗談だったんだ。俺が精神障害者だってさ。へへへ。悪い出会い。不良フリーランス。行政の相談員。そうだ、俺は家族の基盤が弱かったんだ。両親は離婚。俺も離婚。誰にも相談しなかった。2014年の入院。父は見舞いにも来なかった。瑞宝中授章しておいて、息子は生活保護かい。呆れたもんだね。怒。ああ、後悔だったな。退職。筋からして、東京に帰らなければいけなかったんだな。失敗したよ。何が起業だ。ナンセンスだ。年金と手帳ね。すっかり精神障害者意識を植え付けられましたな。それが、どんな世界かも知らなくて。第四のきっかけは違うな。もう、終わってたんだ。障害年金をもらおうという甘い考え。それが転落のきっかけだ。本当に精神障害者になってしまった。しかし、まともな精神科医は少ないな。これからどうする。一般世界に復帰するか、精神障害者世界を生きるか、だな。甘い考えの代償。それが、いま現在だ。教訓に学べ。

激動の10年を振り返る

10年前。2011年2月20日付けで俺はアサヒビール株式会社を早期定年退職した。そして、311が起きた。この時の俺は、単身赴任の延長で、神戸の実家に住んでいた。妻子は東京。俺は関西が長く、4月に研究所を立ち上げた。白井京月の名前で「ロバート劇場」という詩集を出版。10年を振り返るか。病状のことになるな。5月、淡路島に旅行。あまりに体調が悪く、人生最後と、6月は毎日、麻雀をした。7月には大学病院の教授=主治医から、精神科としては寛解の診断がくだる。そこから不眠になり躁転。M病院に2ケ月入院。誤算だった。

2012年。駅前にマンションを借りる。大学病院に戻って減薬するも、感情の平板化が治らない。障害年金欲しさに、M病院に戻ってしまった。「実録・躁うつ病」というブログを開設。仕事は諦めろと言われた。

2013年1月、S医院に転院。一転、再起を目指せと言われる。7月は東京のホテルに缶詰めになり、コンサルの仕事をする。秋、糖尿病で緊急入院。

2014年。大手印刷会社の子会社との委託契約がまとまりかけていた。しかし、7月に白紙に。経済的に追い詰められていた。「次世代文明の誕生」を出版。その後、妄想が出て警察に保護され、T病院に4ケ月入院。入院中に離婚。

2015年。退院後すぐに転居。生活保護と自己破産が視野に入っていた。3月、自己破産の手続き開始。7月債務免除に。S医院の院長にに働けと言われ、就労継続支援B型に通い出す。俺は、あまりにも精神病世界に無知だった。地域活動支援センターに通所。10月MK医院に転院。治療方針が180度変わった。
2016年。3月に躁転。この頃から頻脈発作に悩まされる。転倒骨折。2週間の車椅子生活。B型をやめる。地活は出入禁止になる。

2017年。ブログのオフ会や、高校将棋部のOB会、川柳の会などに行く。8月から、別の地活へ通所。同病の仲間ができる。11月、生活保護に。心臓病検査入院。

2018年4月、激しく躁転。お金が無くなる。H診療所に転院。社協の金銭管理代行サービスと契約。無一文を経験する。

2019年、再びB型に通い出す。秋、躁転。Hメンタルクリニックに転院。

2020年、アルコール依存症で4日間入院。体幹機能障害で歩けなくなる。B型をやめる。父、逝去。

この間、ヘルパー事業所5ケ所、訪問看護3ケ所。

思うに、家族がしっかりしていなかったんだな。一人相撲と、ヤブ医者の連続。どん底まで転落したよ。年収1000万円から、時給100円に。無茶だ。

今は、生きてるだけで良しか。楽な身分になったもんだ。最近は頻脈が治った。リフレックスの効果だと思っている。あとは、周期的に来る体幹機能障害がどうなるかかな。それにしても、激動の10年だったな。もう、勘弁してよ。

 

 

 

 

最近の俺

喘息は快方に向かっているようだ。めでたし、めでたし。

それよりも、リフレックスを飲み始めてから、思考が消えたことの方が問題だ。思考以前に言葉が出てこない。

もっとも、生きるうえで知性は重要ではなく、ルーティンが出来ていれば問題ないという考えもある。しかし、違和感が半端ではない。一日のうちで考えることと言えば、何を食べるか、くらいなのだ。

行動半径も狭い。今月は電車に乗っていない。バスでの通院を除くと、半径150メートル程度だろうか。

電話もかかって来ない。かけない。誰とも会わない。それを問題だとも思わなくなった。人間としての劣化が進んでいるとも思わない。むしろ、精神疾患は回復傾向にあるのではないかとすら思う。

しかし、社会的回復は別だ。10年のブランク。苦悩と混乱の50代。60になって、まだ生きるような気がしてきた。さあ、明日は天丼だ。