白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

私らしさとしての狂気

最近は狂気が見当たらない。リフレックスで、ひたすら馬鹿になった。妄想も興奮もない。治療が成功しているのだろうか。

しかし、思う。私らしさとは狂気ではないのかと。治療の成功を喜んで良いのかと。

ああ、狂気が懐かしい。戻ってこい狂気。などと書くのは狂気の沙汰なのか。

分からない。偉そうに「21世紀の構図」を書いていた頃の自信がわからない。

もう、戻れないのか。私は消えたのか。どうなっているんだ。インヴェガが悪いのか。回復は見えない。なんとなく、損をした気分。狂気。これがないと俺じゃないよ。

幸福の条件

食べるものがある

寝るところがある

タバコが吸える

酒が飲める

 

これだけで幸福になれるだろうか

これだけで幸福だと言えないだろうか

 

世界は変わったのよ

一般世界には戻れない

 

屈辱すら感じない

 

いや、何かが足りない

愛が見えない

 

いいえ、愛はそこにある

改題

ロバート空間はやめました。だって、検索しても出て来ないんだもん。意味ないしょ。どして。

で、とりあえず「愚者の祈り」にします。

いえね、アルコール依存症の末期症状で、もうダメすわ。

脳がアルコール浸けになってるんですね。

何も考えられません。言葉が浮かびません。廃業ですかね。早すぎた死。私は、もう死んでいるのかもしれない。

年を越そうよ。蕎麦と雑煮。御節なんてどうよ。2022。まだ生きる。

アルコール依存症の末期症状

酒しか飲まない。食事をしない。これは、末期症状らしい。

俺がそうだ。脳も委縮したし、社会からもこぼれ落ちた。あとは、死を待つだけだ。

飲まないと、うつと不安にやられる。これも、末期症状らしい。

俺がそうだ。飲まないと自我を支えられない。

酒。飲み方を変えようか。1日千円はきついよ。

回復か。回復したところで、社会的な回復はないのだ。辛いだけじゃないか。呆けないと。そんなところさ。

50歳で一部上場企業を自由定年退職するまでの、そこそこの人生。以降の大転落。もう、復活はないだろう。回復もないだろう。どうする。死へ、まっしぐらか。

いま、60歳。70歳までは生きる気がする。どう過ごすのか。悩む。