白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

再起動

文明とは枠組である。私たちは皆、この枠組の中を生きる。しかし、現代文明は行き詰まっている。現代文明の中心は経済成長だった。しかし、いまや成長のフロンティアは無い。現代経済学のテーマは、経済成長なき社会発展なのだ。そのためには、経済成長のために作られた制度や社会通念、国家の機能などを見直さないといけない。これこそが、次世代文明研究所の主要テーマだった。

次世代文明。その軸となるのは、貧困の削減だ。ここで言う貧困とは、単に経済的貧困を意味しない。健康における貧困、文化的貧困、人間関係における貧困など、複数の軸を持つ多面的概念だ。

ただ、注意したいことがある。精神の標準化を企図する現在の精神科医療や脳科学は、危険分子として排除する必要があるということだ。

コロナ禍のいま、現代文明は急いで次世代文明に転換する必要があるのだ。経済学はその玉座社会学に渡すのだ。

現在、研究すべきは貧困である。うむ、健康における貧困で、国家が個人の健康に介入するというのも、いかがなものか。これは、文化的貧困、人間関係における貧困についても言える。そもそも、国家がどこまで責任を持つべきなのだろう。次世代文明研究所は、再起動しなければいけない。

幸福と社会的評価

精神障害者に幸福はあるのか。そんな事を真剣に考え、悩んでいた。もしかしたら、精神障害者になることが不幸なことであり、幸福は何も無いのではないか。そんな風にも考えた。精神障害者になるとは、社会の外側に出ること。または、精神障害者世界を生きること。そこに幸福などあるはずが無いとも思った。

はて、幸福とは何だろうか。これは私の傾向もあるが、近代が抱えている一つの病として、社会的評価を得ることこそが幸福だという観念による。良い仕事をする、年収が高い、社会から評価される、だから幸福だ。勝負の世界も同じ。勝てば幸福、負ければ不幸。うむ、病んでいる。これこそが病理だ。

社会と幸福は関係ないの。価値観もどうでも良い。美味しいものを食べれば幸せでしょ。幸福は日常の中に溢れている。多分、気がつかないだけ。

自分自身の幸福概念の構造を知ること。偏り過ぎないこと。私はこの文章を反省の意味で書いた。ブログのランキングも購読者数も一種の社会的評価。気にするな。コメントが無いと嘆くな。目標のあり方を見直せ。楽しければ幸福。それで悪いか?