白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

劣化する雇用から逃げ出そう

会社にしがみついて生きて行こうというのは情けない奴隷根性だよね。もっとも現代社会は奴隷を必要としている。まあ、奴隷とは言ってもぶっ倒れなように法律で制限は設けてはいるけど。

 

しかしね。年収1000万程度では優雅な生活なんてできないよ。だいたいサラリーマンなら年間1800時間以上は拘束されている。通勤時間や寝る時間、家事など生活の時間を引いたら自由な時間は1日何時間あるだろう。しかも、一般に収入が増えるとにつれて労働時間は長くなる。ある程度収入が増えると幸福感が下がるというデータもある。

 

そもそも収入が増えれば良い生活ができるというのは幻想なんだな。むしろ年収よりも時給を重視すべきだし、自由な時間の方が価値があるに決まっている。今はネットもあるし、お金のかからない楽しみがたくさんある。「ビンボーハッピーの時代」という本もあったよね。そもそも奴隷的労働に一生懸命になるなんて、俺は理解に苦しむね。

 

「勤労は美徳」などという権力やら資本家やらのプロパガンダに洗脳され、一生賢明勉強して良い大学を卒業し奴隷を目指すなんて倒錯してるよな。もっとも仕事に意義を感じ、高い志を持っている人もいるだろう。でもね、組織の一員というのは基本的に奴隷なんだ。いくら地位があって高収入でも、自立した個人とは言えないんだよ。まあ、特別な専門職で転職が容易な人は別だけどね。

 

もっとも、多くの人は奴隷的労働者になる以外に生きるのは難しいし、安定を望む気持ちもわかるし、同じ境遇の人が大半だという慰めもあるし、慣れてしまえばそれなりの楽しみはあって、なかなか良い人生であったと納得することもできるだろう。それはそれで否定はしない。

 

しかし、だからと言って奴隷的精神を礼賛し、それが常識だとか美徳だとか言われると、これはもう反論せずにはいられない。そういう人は、支配階級に洗脳された可哀相な人だ。貴方がそう思うのは自由だが、そんな考えを人に押し付けるというのは非常識というもんさ。

 

社会は個人のためにあるのであって、社会のために個人があるわけじゃない。個人が社会のために働くのは、それが個人にとってもメリットがあるからだよね。しかし、まったく逆の見解の人もいる。狂った支配者はそういう理論を支持するんだよね。

 

雇用というのは安価な福祉制度でもある。賃金以下のアウトプットしかしていない労働者なんてたくさんいるよね。特に大企業に。まあ、大企業の生涯賃金も劇的に下がっているけど。ブラック企業に象徴されるように雇用の質は低下し、奴隷的労働が増えている。雇用はどんどんと奴隷制度化するのは残念ながら不可避だ。

 

これからは稼ぐことよりも、自由な時間を楽しむことを重視した方が幸福になれだろうね。ニートなんて卑下するどころか自慢すべきだよ。もっとも将来の生活基盤についての考慮は必要だ。まあ、体力と常識さえあれば何とかなる。大事なのは楽しいこと、やりたいことに時間を使うことだよな。

 

いまどき、私は頑張って地位と富を得たなどといって自慢している人は滑稽だよ。起業して数億だがの収入があると自慢する人も滑稽だね。大事なのは、いかに社会に貢献したかだし、いかに自分らしく人生を楽しんだかでしょ。

 

時代には特有の価値観があるけれど、今はそれが大きく変わりつつある時期だね。当然ながら古い価値観は消えて行く。さあ、劣化する雇用から逃げ出そう。できるだけ早く。