白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

問題とは何かという問題

社会は問題で溢れている。誰もが知っている問題もあれば、一部の人だけが知っている問題、個人的な問題などさまざまだ。問題と聞いて、俺は以下の三つの言葉を思い出した。

【1番】 「それが問題なのではない。それを問題だと考えることが問題なのだ」(アンディ・ウォーホル)
【2番】 A氏「答えのない問題なんて問題と言えないでしょ」 B氏「逆だよ。答えが出ているものを問題とは言わない」
【3番】 クライアント「この問題はどう考えればいいのでしょう」 コーチ「いまは、その問題を考えないことです」

1番はわかりやすい。自力で解決不能な悩みなどは考えても無駄なのだから、問題視するなという意味だろう。確かに悩むのは時間の無駄だが、内面的な問題は簡単にはおさまらない。失恋や知人の死は問題ではないと言われても、悲しみが消えないちう問題とも言える。「考えても解決しない問題については考えるな」という人もいる。しかし、問題は解決するか否かということだけなのだろうか。悲しい気持ちを味わうことも、大切な時間なのではないのか、とも思う。 2番は学生と学者の差だろう。数学や物理の最先端の研究者は答の出ている問題には興味がない。みな必死でまだ解かれていない問題と格闘しているのだ。 3番はどうだろう。この会話は、いつ問題に取り組むべきかを考えることの重要性を示唆している。もう少し状況が整理されてから考えた方がいい。そういう場合は多い。そうだ、こんな言葉も思い出した。

【4番】 必要に応じて問題を無視できる人は、いい暮らしができる。(G.M.ワインバーグ)

4番目はアメリカの著名なコンサルタント、G.M.ワインバーグの言葉だ。なんとも嫌らしい言い方だとも思うし、アメリカ的プラグマティズムかとも思う。いい暮らしねぇ。俺は必要な問題を無視してまで、いい暮らしがしたいとは思わない。それが哲学者としての道(タオ)だからね。 問題といっても、試験問題、社会問題、経営上の問題、個人的な問題、研究課題などいろいろだ。俺はラッセル、L.エイコフの名著「問題解決のアート」を持っている。この本は現在、入手困難だ。ここには汎用的な問題解決システムが図解で載っていて、かなり使いものになりそうだ。そうだ、俺も今日からこれを使おう。 問題には考えることがつきものだ。これについても思い出す言葉がいくつかある。野口悠紀雄氏はロダンの「考える人」を見て「あれは考える人ではなく、考えあぐねている人だ」とどこかに書いていた。またブロガーのちきりん氏は「考えるとはアウトプットすることだ」と言い切っている。 世の中には問題が起こると嘆く人もいれば、問題が起こると喜ぶ人もいる。 「ふむ、ここで言う問題とは、どういう種類の問題かな?」 「いやいや、それを明示すると問題になります・・・」