白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

目的意識は重要だろうか?

出典を失念したのだが、ある人が成功の条件として、以下の二つを示していた。

1.自分に出来る「価値ある提供物」に特化する。

2.利益ではない「強い目的意識」に駆られる。

しかしね。そもそも成功ってなんだ? そんなものは人それぞれだし、俺のように成功という言葉が嫌いな人間も少なくないだろう。ふむ、俺にとっての成功とは成功しないことなのかもしれん。ならば、俺は成功したくない。つまり、成功したくない私は成功するしかない。おかしい。論法がおかしい気がする。寝起きだからか?

 

まあ、成功はどうでもいい。問題は目的意識だ。しかも「利益ではない強い目的意識」が必要だ、ときた。しかし、そんな情熱を持つ人など絶対的少数派だ。食うために働くとか、楽しく過ごすとか、健康でいたいという目的なら多くの人が持っているだろうが、「強い目的意識」となると、これは特別な資質や才能を持った人、または大いに勘違いしている人しか持っていないのではなかろうか。

 

つまり、強い目的意識などというものは、宿命的か偶然的なものでって、「さあ、頑張って目的意識を持とう」などという類いのものではないのだ。

 

ただ、どういうわけか人は目的意識に駆られて頑張っている人を素晴らしいと感じる。(もっとも、それが大迷惑という場合もあるが)問題はそこからだ。自分も真似しようとするか。自分はダメだなと落ち込むか、自分は普通の人だからと納得するか、この人を応援しようとするか。

 

困っている人々のために(会ったこともないのだが)、人々の生活を便利で豊かにするために(頼まれてもいないのだが)、多くの人に楽しんでもらうために、といった思いから強い目的意識は生まれる。普通の人は、思いはあっても自分は生活のために被雇用者として働くしかないと考える。「人生とは楽しむこと」そんなスローガンを掲げる心理学の一派もある。

 

ただ、目的意識というほど大げさなものでなくても、仕事にしろ遊びにしろ、それを楽しむには熱中することが必要条件だ。暇を持て余して遊んでいても、熱中できていなければ面白くはない。(俺のことではない)

 

人生を貫くような強い目的意識を持続させて成功者と呼ばれる人もいる。しかし、それは人生を一つの物語として作っただけのことだとも言える。一人の生涯は、解釈や見方を変えれば、どんな物語にでもなる。実際に、ナラティブ・セラピーというカウンセリングの一派もある。人生なんてそんなものなのだ。

 

とにかく、強い目的意識を持たなければ、と思って考え続けるというのはナンセンスだ。哲学的でない言い方をすれば、それは天から降ってくるものなのである。

 

人生という旅はいろいろだ。計画が好きな人もいれば、放浪が好きな人もいる。くれぐれも、おかしな言葉の呪いに縛られないように。人生はプロジェクトのように成果でのみ評価されるものではないのだから。