白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

「大学入試に人物評価」は拙いよ

政府の教育再生実行会議は国公立大学の2次の学力試験を廃止し、人物重視の面接や論文に変えて行く方針であることを明らかにした。

これは本当に危険だ。人物重視ということは、望ましい人間像を規定するということだ。いったい誰が、この望ましい人間像を定めるのか。各大学の教授たちなのか、文部科学省の役人なのか、はたまたヘンテコリンな有識者会議とやらか。いずれにしても、望ましい人間像を規定できるような人物がどこにいるだろう。

もしも、これが実行に移されるといかのような問題が発生することは明らかだ。

1.恣意的な選考が可能になること。
2.体制に批判的な人間を排除できること。
3.特定の人間像を理想化することで多用性が失われれること。


もっとも、民間企業は採用で面接を重視しているのだから、同じことじゃないですかなどというバカもいると思う。しかし、それは営利企業の考え方であって、「官」は曖昧ではいけないし、恣意的でもいけないのだ。大学というのは民主主義の砦でもある。そこに、こんな馬鹿な制度を導入することは、民主主義を脅かしているのと同じなのだ。

いや、ハーバードだって同じようにやっていますよという反論も予想される。その通りだ。だから今のアメリカの惨状があるのだ。日本は、あのような自由のない格差と貧困の国に追従したいのか。

教育再生実行会議とは、2013年に発足した第2次安倍内閣における教育提言を行う私的諮問機関である。委員の中には、新しい歴史教科書をつくる会の元会長である八木秀次や、あの曽野綾子などがいる。要するに専門家のいないお友達会議だ。なお、その前身ともいえる教育再生会議の有識者のなかにワタミの渡邊美樹がいたことも忘れないでおこう。

だいたいにおいて「教育再生」という言葉が意味深長である。再生したいのは、学力ではなく戦前の道徳だと言い切っても良い。曽野綾子などは中学の数学から二次法的式の解の公式を削除し学力低下に貢献した実績のあるお方だ。

なお、教育再生実行会議とは別に自民党には教育再生実行本部という組織もある。ここでいう教育再生は、「国と郷土を愛する」教育が柱となっている。愛はを押しつけるものではない。自らが愛される国家になるよう努力して欲しいものだ。こんな連中のいう「人物」がどういうものか、書くのもおぞましい。