白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

グローバル化とはプレカリアートの拡大である

グローバル化についての説明はいらないだろう。プレカリアートにつては一応説明しておく。プレカリアートとは、不安定さを意味するイタリア語のプレカリティと、労働者階級を意味するドイツ語のプロレタリアートを組み合わせた造語だ。つまり、プレカリアートとは不安定な労働を強いられる存在という意味だ。

グローバル化は世界を豊かにするはずだった。いや、そんな筈はない。資本は利潤を求めて途上国へ、そして貧困国へと移動しただけのことだ。そのために作られれたスローガンが「貧困の撲滅」であったり「開発」だっただけのことで、それらの国々の文化や生活を尊重しようとするような謙虚さは資本にはない。

結果として、世界中の労働者はプレカリアートになった。大企業とていつ倒産するかわからないし、いつリストラがあるかわからない。そういう不安定な状態で労働を強いられるということは、奴隷的にならざるを得ないということでもある。痛めつけられる肉体と精神。たとえ経済的に豊かであったとしても、この不安定さは幸福を妨害する。あるいは、豊かではなくても安定していた方が幸福だったのかもしれない。

経済だけでなく社会構造も劇的に変化している。家族関係は希薄化し、地域の絆は薄れ、友達もまた形式化した。人間が機能で評価されるという官僚的社会の中で、自律した精神を持つ者は社会的な不適応を引き起こす。機能として優秀であるためには、人間的な自律性を捨てざるを得ないからだ。グローバル化とは言うまでもなく機能主義の一形態である。経済成長ですべての問題が解決するとか、民主主義は正義であるとかいう単純な前提で組み立てられた戦略。人々は利便性に踊らされ、大切なものを失って行った。

利便性の裏側にある貧困問題(プレカリアートの問題)に想像力を働かせるには知性と良心が必要だ。世界の構造が理解できるならば、恵まれた立場に安住することなどできるはずがない。

もちろん、安直に反グローバリズムの運動を始めようなどというつもりはない。そういう運動もまた胡散臭いものであったり、欺瞞に満ちたものであったりする場合がある。重要なのは、組織ではなく正しい情報であり、信頼できる仲間を持つことだ。とにかく、世界がプレカリアートの拡大という問題を抱えているという認識だけは共有しておきたい。目先の賃金に一喜一憂し、転職も難しいと考えている貴方は、立派なプレカリアートの一員なのである。

勝ち目のない抵抗はやめた方が良い。お勧めは、上昇志向を捨てて没落を楽しむことだ。そうすると消費は減り経済も麻痺するだろう。そして、グローバリズムは終焉を迎える。もちろん、哲学者でる俺はその後の世界を考えている。歴史は加速している。現代文明の終わりは近い。そのうち、次世代文明の哲学を示す。今日の戯言はここまでだ。