白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

認知症と会話

昨日はエライ目にあった。朝一番で郵便局に行った後、ちょっと一服と喫茶店に入ったら、地元では名士と言える不動産会社の社長さん(72歳)に声をかけられた。元々、面識はあるのだが、そこから延々と話が2時間弱。いやー帰って仕事をする予定だったのに参った。流石に用事があるとも言いにくい。高度成長期の話、バブルの話、相続問題、家族の姿が変わったことなど、延々と会話が続く。

そして話題は認知症の話になった。

俺「どうしてこんなに認知症あ増えたんでしょうね」
社長「それは会話をしないからですよ」

俺「なるほどね、会社でも飲ミニケーションが無くなったし、家族さえも会話をしないんですね」
社長「そう、夫婦でも家庭内別居というのがあるんですよ。同居していても会話をしないんだ」

妙に腑に落ちる話だった。医学的なことは詳しくないが、本質を突いていると思った。今日もアメリカ人と喫茶店で1時間ほど話をしたのだが、外国語を勉強するとボケないと言っていた。やはり会話が重要なのだ。

プライベートでも、仕事でも、会話がメールに置き換わった。昔はメールでのコミュニケーション術を学ぶ必要があると言われたが、今は子供時代からメール文化なので、リアルでのコミュニケーション術を学ぶ必要がある時代になっている。

日本社会は少子高齢化とデフレで先進国の先端を走っている。また、家族関係の崩壊という点でも世界の最先端にいる。もちろん、望ましいことではないのだが、そんな日本に世界は注目している。

俺は会話に対する飢餓感、人間に対する飢餓感が強いし、会話もそこそこあるので認知症にはならないだろう。電話でもSkypeでもいい。とにかく人の声には心を癒す作用があるのだ。

とにかく会話。今日はこの辺でやめておこう。