白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

5.ニートの何が問題か

ニート問題が深刻だと言われている。政府の定義ではニートは35歳以下となっているが、それでも70万人近くいる。中年ニート、高齢ニートを加えると大変な数になる。そして、雇用情勢が好転する見込みはない。

厚生労働省はニートを個人の能力や資質の問題と考えているようだが、それは違う。これはもう、社会構造、社会システムの問題だ。教育サイドと企業サイドは新たな発想を持つ必要がある。

教育や就労ではない社会との接点を作ること。ニート問題を考える時、これが一番大事なことだと私は思う。厚生労働省の報告書でも、流行りのコミュニケーション能力が議題になっている。きっと、大人たちの期待しているコミュニケーションとは空気を読むことであり、従順さなのだろう。もう、この段階で定義が歪んでいる。そういう関係性の強要がメンタルを病む人を増やしているのだ。あるいは、そういう関係性に拒絶反応を示す人が多いということなのだ。もちろん、ニートをメンヘラ(心を病んだ人)と同一視することは誤りだ。しかし、ニートはメンヘラというレッテルが貼られてしまうこともまた事実なのである。

では、ニートのどこが悪いのだろう。雇われていない、かつ教育を受けていない状態にあるのがニートだ。経済的にそれが可能であれば、何が問題なのだろう。多くの人は将来の生活保護などの社会保障費の増大を心配しているのだろう。ニート状態にある人の心の状態を心配するような人は少数派だ。一方的にニートは悪いことと断罪されてしまい、本人もニートであることに罪悪感を感じてしまう。なんと厚生労働省の調査によるとニートの80%程度が現在の自分の状態に罪悪感を感じているという。

そうではない。これは本人の資質や能力の問題ではなく社会構造の問題なのだ。ただ悪いクジを引いてしまっただけなのだ。いや、もしかしたらそれは良いクジなのかもしれない。(?)24時間自由に好きなことができるというのは素晴らしいではないか。もっとも経済的な問題と世間体という問題は気になる。

そこで一つのアイデアがある。行政は教育や就労を勧めるだけでなく、現在のニート達が集える居場所を用意してはどうだろう。まずは引き籠りにならないこと。これが一番大事だ。最大の問題は体力の低下だからだ。

もちろんそれにはコストがかかる。しかし、就労への挑戦と失敗を繰り返すよりも、まずは外に居場所を作ることの方が長期的には効果があるのではないだろうか。もっとも今ではSkypeとニコ生があれば自室で誰とでも会話できる。そういう中で育った世代の感覚は、中年以降の人には理解できないかもしれない。新しい情報環境はコミュニケーションを根本的に変容させた。便利なものを規制する必要はないが、その功罪は知っておきべきだ。特に世代間のギャップを問題視するのではなく、差異を相互に理解しあう姿勢が重要なのである。

繰り返し強調するが、ニートはまず自分自身の罪悪感を払拭しないといけない。そして一般の人もニートを怠けだなどという誤った認識を持たないで欲しい。そういう態度でいる限り、ニートは何も語らない。いや、語っていただけない。これからはニート様が新しい文化を作って行く。そう公言する識者もいるくらいだ。

ニートという生き方を認め、ニートが増えることを前提にした社会保障制度を設計することことが肝要だ。ニートを減らそうという思索ではなく、ニートが病まないための、ニートが疎外されないための施策が重要だ。社会保障費の増大が悪いことだろうか。公平性の観点からすれば、特定の産業分野に金をバラマクような政府の巨大支出の方が遥かに不健全だ。日本はまったくもって資本主義的ではない。もっともアメリカの軍需産業も政府が支えているのだし、世界の資本主義というのは完全に「偽装」なのだが。

もっとも「ニートが安心して生きられる国を目指して」という理想を掲げる政党は出てこないと思う。いや、そのうち「ニー党」ができる?

(2012年11月)