白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

生物学的反人生論

現代の日本社会が、政官財学の利権ネットワーク(左翼はこれをマフィア連合と呼ぶらしい・・・笑)によって完全に支配されていることはいうまでもない。現代における支配の特徴は、法律的には自由を与えながらも、情動系にアタックする情報刺激を大量に与えることで、個人を特定の観念に染めて、自主的に社会的な管理と規制を強制していることにある。ここでは心理学や脳科学がマーケティング的にフル活用され、さらに情報技術と制度がプロパガンダを推進する。

どんな文明においても固有の態度、観念、手法があるわけで、こういう真実を公然と書ける現代は恵まれているとも言える。もっとも、こんな真実を書いたところで、権力にとっては脅威でもなんでもない。読む人は圧倒的に少ないし、読んだところで「メリット」(現代文明御用達用語・・・笑)」がないからだ。

さて、いまだに、というか権力の熱意の成果だろうが、書店には自己啓発だとか人生論、幸福論といった類の本が山のように置かれていて、それを買って真剣に読む人は多い。有害図書という言葉もある通り、本を読めば良いというものでもないのに。

近年の特徴としては、成功すること(金持ちになること)が称賛されるべき素晴らしいことであり、それは尊敬に値するものだということ。そして、誰もが努力してそのような生き方を真似るべきだとか、正しいやり方をすれば誰でも夢は実現するといったオカルト系のものまで、本のラインナップ豊富だが、そのゴールは夢であり、成功であり、幸福だ。誰もが夢を持って努力するだって? それは生物学的に言ってナンセンスです。(笑)

そもそも人生において「意思」がどれだけの影響力を持つかを考えて欲しい。だいたいのことは遺伝子、環境、偶然、といった制御できないところで規定されている。生まれる時代も、生まれる国も選べない。意思と努力など、2割程度の影響力しか持たないと考えるのが自然だろう。

人にはそれぞれタイプがあり個性がある。人によって「幸福とはなにか」も違うだろうし「夢などない」というのは恥じるべきことでもない。それなのに、現代文明は希望に向かって進めという洗脳活動を継続する。そして、どこかに普遍的な幸福があるのではないかと勘違いして幸福論といった類の本を読んだり、自分には何か才能があるのではないかと妄想して自己啓発本を読む。本を読むだけならまだしも、セミナーに行ったりサークルに入ったりして大金を使う。それが、落ちこぼれを飼い馴らすためのシステムだとも知らずに。

そもそも、人生論だとか、人生哲学なんて代物は、権力者なり成功者が自らの権威を強化するために使う方便のようなものだ。そんなものを有り難がっても仕方ないし、真似をすることなど無意味である以上にマイナスだろう。もっとも、こういう嘘を知ったうえで処世術として大物にすり寄って小金持ちになるという生き方をする人はいる。法に触れなければ悪ではない。そして、こういう人を尊敬するか、軽蔑するかも人それぞれだ。相対主義ということではなく、世の中にはいろいろな人がいる。こういう生き方に美学を見いだす人もいる。良い悪いではなく。

真面目な人が増えたのだと思う。能力もないのに、努力とか成長とうことを熱心に語る人をよく見かける。こういう人が増えるということは、安い給料で熱心に働く人が増えるということでもある。利権ネットワークにとっては、とても都合が良いことだ。もっとも、意識の高いニートは「働いたら負け」と言っているらしいが、彼らは時代と勝負でもしているのだろうか? その勇気は素晴らしいのかもしれないが、勝ち目があるとも思えない。意識の高いニートもまた、真面目過ぎるのではないだろうか。

まず第一に、「生きて行くうえで人生論や哲学や美学が必要かどうか」を考えて欲しい。そして、そこに答があるかどうかを。学者なり芸術家として、そういうものを探求するのでない限り、そういう類いのものを真面目に考えてはいけないのだと私は思う。真面目に人生を考えたりすると、生きることが苦しくなるに決まっている。人生というのは真面目ではいけない。いや、ある程度の不真面目さこそが肝なのだ。

何度も繰り返すが、胡散臭いのは「スキルとマインドで思い通りの人生を」といった似非科学ビジネスだ。生物学的に見て個体のバラツキがどうなっているかをまず考えよう。自分自身の資質を大きく変えることなどできるわけがない。

夢のない話かもしれないが、この生物学的事実を正しく理解できるならば、現在の境遇が自己責任などではないことがわかるし、有り得ない願望に向かって無駄な行動をすることもない。

だいたい「人生論」を大袈裟に書いたり、語ったりする人間は、逆に自分の中のやましさい部分を隠したいという気持ちがあるものだ。人生論なんて飾りでしかない。どんな飾りをつけようが、つけなかろうが、それは趣味の問題でしかない。

そういうわけで、私は「生物学的反人生論」という考え方をお勧めする。と同時に、他人の人生論など真面目に読むことのないように願う。なぜって、私はこの現代文明が好きじゃないからさ。(笑)