白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

日本が死んだ日

私は日本に明日は無いと思っている。政府が何をするかも分かっている。国民は日本に期待してはいけない。自分の身は自分で守るしかない。海外脱出もオプションとしてあった方が良いだろう。

 

さて、日本が死んだ日はいつだろうか。それは、2012年12月16日である。第46回衆議院選挙の日だ。たまたま、この日のmixiの日記が出てきたので掲載する。

 

投票率、戦後最低の59.32%に」

自公の圧勝、維新の躍進で終わった今回の選挙だが、低い投票率と政党別得票率からは、大いなるしらけ選挙だっとと言えるだろう。自公の圧勝というよりも民主の壊滅と言った方が良いくらいだ。

争点は多岐に渡った、経済、原発、TPP、安全保障、憲法社会保障増税などなど。各項目ですべて考えが一致する政党などあるはずもない。争点が十あって選択肢が二つだとしても、すべての合意を条件にしてしまうと、計算では千以上の政党が必要になる。有権者はどこかで妥協して投票するしかないのだ。

結果は見えていた。民主党ではだめだ。しかし、それに変わる受け皿もない。自民は圧勝するだろう。しかし、対抗できる政党すら見当たらない。入れたい政党がない。これが低投票率の真相だと思う。

得票率を見て、小選挙区制に異議を唱える識者も多い。個人的には二大政党制に反対だし、小選挙区制にも反対だ。今のような政党政治では駄目だとも思う。理念ではなく、利害で結ばれた集団。今回、理念を守り抜いた政党がいくつあっただろうか。

マスメディアはいつも経済や景気を話題にするが、政治で経済や景気が良くなるなどというのは幻想に近い。経済政策は重要だが、それですべてが解決するわけでもないし、絶対に上手く行く政策などない。こういう議論は実に専門的なものなのであって、踊らされている国民が多いというのは悲しい現象だ。

自公政権に戻ったことで、既得権層にはお金が回るだろう。しかし、それで経済が良くなるとはとても考えられない。むしろ、今回の選挙の結論は、多数決による弱者の切り捨てではないのか。それを選択したのが弱者だとしたら、実に愚かな選挙だったということになる。

それにしても、民主党政権はひどいものだった。増税しないとマニフェストに書いておきながら、選挙もせずに増税を決めた。日本の政治の裏側に無知だったのだろう。官僚の手口や、アメリカとの力関係を甘く見積もっていたようだ。何もできない政治。その点では、自民党の方が知識も経験も技量も上だった。言い換えれば、どんな改革勢力が誕生しようとも、素人集団の政権では民主党の二の舞になるだろうということを国民は知った。そんな、3年3ケ月だった。

大いなるしらけ選挙のつけ、などと国民に責任を押し付けるようなことを私は書かない。ただ、日本が新しい時代を迎えたことだけは確かだ。来年夏の参院戦では憲法改正が争点になるだろう。そして、「近いうち」に国民投票が行われる。賛成反対以前に、内容を吟味することが重要なのだが、国民に熟慮の時間はあるのだろうか。まあ、考えても仕方がないという国民が大半だとは思うが。(以上)

 

概ね予想通りになったが、解釈改憲憲法を無効化し、司法、立法、行政、メディアを完全に支配下におくまでに至るとは想定していなかった。あれから3年半。貧困の拡大から、今では中流の崩壊と言われている。この頃「日本は終わった」というエントリーも書いている。批判はあるだろうが、私は日本の政治に絶望している。なにが起きても驚かなくなった。政府は官僚の人事権まで掌握したのだ。あとは、やりたい放題だ。

 

これからは、俳句とか散歩、美術鑑賞などを趣味にして、世俗を見ずに暮らそうか。ああ、俺には無理かな?